アメリカ合衆国における駅馬車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 23:30 UTC 版)
「駅馬車」の記事における「アメリカ合衆国における駅馬車」の解説
18世紀から原始的な馬車が都市間で旅客を運ぶために用いられ始め、最初はニューイングランド内において1744年に始まり、続いて1756年にはニューヨークとフィラデルフィアを結ぶようになった。後者では、所要時間は3日かかっていたのが、「フライング・マシン」と呼ばれる改良された馬車により1766年に2日になった。旅客と郵便物を輸送する、最初の郵便馬車は18世紀末に登場し、それ以前に主要な道路で走っていた郵便騎手を置き換えた。馬車の御者は郵便物や小包、現金などを輸送し、しばしば取引の決済を行い、顧客のために信書を配達した。1829年にはボストンは77の駅馬車路線の、3年後の1832年には106の駅馬車路線のハブとなっていた。 ボストンとニューヨークを結ぶ駅馬車の運行は、ニューヨークとプロビデンスの間での蒸気船の運行が始まったことにより中止された。しかしボストンからプロビデンスまでは、相変わらずアメリカ国内で最も頻繁に駅馬車が運行されて、旅客を蒸気船に間に合うように6時間で運んでいた。1830年代から鉄道が都市間を結ぶようになると、駅馬車の運行会社は鉄道の駅から沿線外の都市や街へと結ぶようになった。
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