アメリカ合衆国による支払い拒否
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 14:58 UTC 版)
「エーレスンド海峡条約」の記事における「アメリカ合衆国による支払い拒否」の解説
しかし、アメリカ合衆国は1855年に、1856年4月に期限を迎えるデンマークとの貿易協定を更新しないと宣言した。アメリカ合衆国は、アメリカ船舶が大西洋からバルト海に通航するために関税を支払う必要は一切ないと主張したのである。これを受けて、デンマークは1856年1月からコペンハーゲンにおいて、関係各国との間でエーレスンド海峡通行税の廃止とそれに伴う税収減の補償について議論を行うことになった。この会議に参加したのはデンマークの他、スウェーデン=ノルウェー、イギリス、オランダ、ベルギー、フランス、ロシア帝国、オーストリア帝国、自由ハンザ都市ブレーメン、自由ハンザ都市ハンブルク、ハノーファー王国、自由ハンザ都市リューベック、メクレンブルク=シュヴェリーン大公国、オルデンブルク大公国、プロイセン王国であった。
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