アフマド・ペジマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 22:08 UTC 版)

アフマド・ペジマン(ペルシア語: احمد پژمان、Ahmad Pejman、1935年7月9日 - 2025年8月29日)は、イランの作曲家。
生涯
ファールス州ラール出身。幼いころから南イランの音やリズムに親しんだ。ホセイン・ナセーヒーにヴァイオリンを、ヘシュマト・サンジャリに音楽理論を学んだ後、テヘラン交響楽団のヴァイオリニストとなった。その後、奨学金を得てウィーン音楽院に留学し、アルフレート・ウールやハンス・イェリネクに師事した。在学中から彼の作品はウィーン室内管弦楽団やウィーン放送交響楽団で演奏され、3年次には彼の作曲したオペラ『田舎の祭り』がテヘラン歌劇場のこけら落としに上演された。卒業後の1969年にイランに戻り、管弦楽曲・オペラ・バレエ・映画音楽・テレビ音楽を作曲した。
1976年、コロンビア大学の博士課程に入学した。1979年、イラン革命が発生すると、彼はロサンゼルスに居を移し、ジャズやポップスの編曲の仕事をした。現在はサンタモニカに在住し、管弦楽曲や合唱曲や映画音楽を作曲している。
数週間の闘病の末、2025年8月29日、ロサンゼルスで死去。90歳没[1]。
脚注
- ^ “احمد پژمان درگذشت/ او که بود؟” (ペルシア語). روزنامه دنیای اقتصاد (2025年8月30日). 2025年8月30日閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
- アフマド・ペジマンのページへのリンク