アナルと戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 10:15 UTC 版)
1850年代、ニュージーランドには大量の白人移民が押し寄せ、マオリ族は安価で続けられる土地買収に不満を示すようになった。1858年、北島ワイカト地方ではマオリ王擁立運動が起こるなど情勢は不安定さを増し、この後10年以上続くこととなるマオリ戦争に突入した。しかし、アナルは改宗者となり、ウィリアムズの右腕と目される存在であった。各地の散発的な戦闘から発展した第2次タラナキ戦争(1863年)においても、アナルらロンゴワカアタのマオリは中立的な立場を示した。改宗者のアナルはマオリ結束を求める王側北部諸部族に対して、植民地政府への迎合を提案していた。 しかし、戦局が進むにつれてアナルの姿勢にも変化が現れる。植民地政府の弾圧的な政策もあり、戦闘はいつまでも終わる気配を見せなかった。業を煮やしたアナルらロンゴワカアタのマオリはついに植民地政府へ反乱を起こし、1865年11月にイースト・ケープ戦争が開戦した。しかし、武力で勝る政府軍にアナルは短期間で降伏し、チャタム諸島へ追放された。
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