アエロ・ペルーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アエロ・ペルーの意味・解説 

アエロペルー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 04:29 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アエロペルー
IATA
PL
ICAO
PLI
コールサイン
AEROPERU
設立 1973年
ハブ空港 ホルヘ・チャベス国際空港
マイレージサービス Club Premier
会員ラウンジ Salon Premier
保有機材数 22
就航地 21都市
本拠地 ペルーリマ
代表者 Gregorio Nolan
テンプレートを表示

アエロペルー(Aeroperú)は、かつてペルーリマを本拠地としていた航空会社。ペルーのフラッグ・キャリアでもあったが、1999年に運航停止となった。

概要

設立

ボーイング727-100型機

ペルー空軍に民間航空部門を設置し、SATCO航空として運航していたものを前身として1973年5月に設立された。設立上の経緯から、当初はペルー空軍も運航に大きく関わっていた。

ホルヘ・チャベス国際空港を拠点として、1973年7月にペルー国内線の運航を開始。同年10月には国際線の運航も開始し、ボリビアブラジルチリなどの南アメリカ各国のほか、メキシコアメリカ合衆国マイアミにも乗り入れた。 運航機材にはロッキード L-1011 トライスターダグラスDC-8-62ボーイング727-100フォッカーF28フェローシップが使用された。

売却と拡大

1990年代の経済危機の際にアエロメヒコ航空へ株式の47%を売却。この時には制服をアエロメヒコに似たデザインへと変更し、ボーイング757を3機購入、1機をリースした。またメヒカーナ航空からもボーイング727-200DC-10-15を3機ずつ購入した。一方では国際線の拡大も実施し、ロサンゼルスへの乗り入れ等も行った。

運航停止

1996年10月2日に墜落事故が発生した。この事故は、航空機の洗浄時にピトー管を塞いでいたマスキングテープを、離陸前点検まで剥がし忘れたまま離陸してしまったため、高度・速度を正確に検知出来なくなり発生したものであった(→アエロペルー603便墜落事故)。同事故の発生に伴う致命的な経営悪化に加え、その後のペルー経済の悪化も相俟って、アエロペルーは1999年3月10日に運航を停止した。

主な就航地

国内線

国際線

保有機材

関連項目

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

アエロ・ペルーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アエロ・ペルーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアエロペルー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS