アエロフロート航空6263便墜落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 03:41 UTC 版)
|   
       事故機の同型機
       | |
| 事故の概要 | |
|---|---|
| 日付 | 1973年1月21日 | 
| 概要 | 制御不能、原因不明の空中分解(公式) ミサイルによる偶発的撃墜(非公式) | 
| 現場 |  ソビエト連邦  ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ペルミ州ボリシェソスノフスキー地区 (現・  ロシア ペルミ地方) | 
| 乗客数 | 34 | 
| 乗員数 | 5 | 
| 負傷者数 | 0 | 
| 死者数 | 39(全員) | 
| 生存者数 | 0 | 
| 機種 | Antonov An-24B | 
| 運用者 |  アエロフロート航空 | 
| 機体記号 | CCCP-46276 | 
| 出発地 |  クラスノダール国際空港 | 
| 第1経由地 |  ヴォルゴグラード国際空港 | 
| 第2経由地 |  サラトフ中央空港 | 
| 第3経由地 |  カザン国際空港 | 
| 目的地 |  ペルミ国際空港 | 
アエロフロート航空6263便墜落事故(アエロフロ-トこうくう6263びんついらくじこ)は、1973年1月21日にソビエト連邦で発生した航空事故である。アエロフロート航空6263便は、クラスノダール発ペルミ行きの国内定期旅客便で、途中ヴォルゴグラード、サラトフ、カザンを経由したのち[1][2]、ペルミに着陸する予定であったが、その少し前に降下旋回に入り、目的地であるペルミ国際空港から約91キロメートル (57 mi)離れたペルミ州ボリシェソスノフスキー地区に墜落した。
事故機
事故機は、Antonov An-24Bで、機体記号はCCCP-46276。1967年に初飛行した[1]。
事故の概要
6263便はペルミに着陸する約15分前、高度5,400メートル (17,700 ft)で突然右に傾き、続けて逆方向に傾いた後、時速約1,000キロメートル毎時 (620 mph)に達する高速で旋回しながら降下を始めた[1]。高度約2,700メートル (8,900 ft)において、大きな重力加速度により機体が破断した。機体は、ペルミから約91キロメートル (57 mi)のペルミ州ボリシェソスノフスキー地区に墜落した[2]。航空機に乗っていた乗員・乗客39人のうち、墜落では4人が生き残ったが、救助隊が現場に到着するまでに生存者は全員死亡した[1]。
事故後の調査
捜査当局は墜落の原因を断定できなかった。しかし、事故機についているはずのない緑色の塗料の点など、ミサイルが爆発した兆候がいくつか見つかった。だが、ソ連国防省は墜落時にその地域で演習があったことを否定した[1]。
出典
- ^ a b c d e “Accident description for CCCP-46276”. Aviation Safety Network. 2019年3月20日閲覧。
- ^ a b “Катастрофа Ан-24Б Северо-Кавказского УГА в Пермской области” (Russian). airdisaster.ru. 2019年3月20日閲覧。
- アエロフロート航空6263便墜落事故のページへのリンク

 
                             
                    


