カノ航空惨事とは? わかりやすく解説

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カノ航空惨事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 06:31 UTC 版)

アリア JY-ADO
1971年にロンドン・ヒースロー空港で撮影された事故機
事故の概要
日付 1973年1月22日
概要 悪天候による着陸失敗
現場 ナイジェリア マラム・アミヌ・カノ国際空港
北緯12度02分58秒 東経8度31分15秒 / 北緯12.04944度 東経8.52083度 / 12.04944; 8.52083座標: 北緯12度02分58秒 東経8度31分15秒 / 北緯12.04944度 東経8.52083度 / 12.04944; 8.52083
乗客数 193
乗員数 9
負傷者数 26
死者数 176
生存者数 26
機種 ボーイング707-3D3C
運用者 アリアナイジェリア航空英語版便として運航)
機体記号 JY-ADO
出発地 キング・アブドゥルアズィーズ国際空港
目的地 ムルタラ・モハンマド国際空港
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カノ航空惨事(カノこうくうさんじ)は、1973年1月22日に発生した航空事故である。キング・アブドゥルアズィーズ国際空港ムルタラ・モハンマド国際空港行きだったチャーター便(ボーイング707-3D3C)が、マラム・アミヌ・カノ国際空港への着陸時に大破し出火した。乗員乗客202人中176人が死亡した[1]

事故機

事故機のボーイング707-3D3C(JY-ADO)は、1971年に初飛行を行っており、アリアがナイジェリア航空便として運航していた。エンジンは、4基のプラット・アンド・ホイットニー JT3Dを搭載していた[1]

事故の経緯

ジェッダ
カノ
ラゴス
出発地のジェッダと目的地のラゴス、事故現場のカノの場所を表した地図

この便は、ナイジェリア航空がチャーターした便で、搭乗者の多くはサウジアラビアジェッダからナイジェリアラゴスへ向かう巡礼者であった。事故当時、ラゴス周辺の天候が悪かったため、パイロットはナイジェリアのカノへのダイバートを行った。カノ国際空港は当時強風が吹いていた。着陸時、ノーズギアが最初に接地し滑走路の窪みに接触し破損した[2]。その後右メインギアも破損し機体は滑走路を逸脱、180度回転し停止した。事故の衝撃により火災が発生し、乗員乗客202人中176人が死亡した。

この事故は、14か月後にトルコ航空981便墜落事故が発生するまでは史上最悪の航空事故となっていた[3][4]

脚注

  1. ^ a b JY-ADO Boeing 707-3D3C”. Aviation Safety. 2019年3月10日閲覧。
  2. ^ Accident details”. www.planecrashinfo.com. 2016年2月14日閲覧。
  3. ^ Ludington Daily News - Google News Archive Search”. news.google.com. 2017年8月29日閲覧。
  4. ^ TC-JAVの事故詳細 - Aviation Safety Network. 2013年7月31日閲覧。



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