アエロフロート航空3352便事故とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 事件・事故 > ソ連・ロシアの航空事故 > アエロフロート航空3352便事故の意味・解説 

アエロフロート航空3352便事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 23:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アエロフロート航空3352便
事故機と同形のTu-154B
出来事の概要
日付 1984年10月11日
概要 滑走路上で旅客機と車両の衝突事故
現場 ソ連 オムスク空港
乗客数 170
乗員数 9
負傷者数
(死者除く)
2
死者数 178(地上4人)
生存者数 5
機種 ツポレフTu-154B
運用者 アエロフロート
機体記号 SSSR-85243[1]
出発地 クラスノダール国際空港
経由地 オムスク空港
目的地 トルマチョーヴォ空港
テンプレートを表示

アエロフロート航空3352便事故とは1984年10月11日ソビエト連邦(現在のロシア)のオムスクで発生した航空事故である。事故発生当時、ソ連航空史上最悪の犠牲者を出した事故である。

事故の概要

アエロフロート・ソ連航空3352便はクラスノダールからノヴォシビルスクに向かう定期便であった。この事故は経由地であるオムスクの空港に着陸した際(現地時間午前5時40分ごろ)に発生した。

3352便が着陸したのは夜明け前の暗がりで、小雨が降りしきり視界も利かなかった。2台の路面乾燥車両(およびその先導車)が滑走路上で作業をしていたが、滑走路上における作業中は必ず点滅させる規則のある車両屋根の灯火は、作業者の目がチカチカするという理由で点灯されていなかった。3352便が着陸したところ滑走路に何かある事に気付いて右旋回したが衝突を回避できなかった。旅客機は滑走路を移動していた作業車と先導車に衝突し、機体は分断し炎上した。

この事故で、3352便に搭乗していた179人のうち174人と地上の車両の4人の178人が犠牲になった。搭乗者のうち乗客1人と乗員4人は救出され、乗員のうち3人は怪我はなかった。

事故原因

事故の原因は、空港側の連絡が行き届いていなかったことである。地上管制官が清掃車に作業の許可を出した後、「滑走路占有」警告をスイッチをオンにするのを忘れたまま居眠りしてしまったため、滑走路上に車両がいることを進入管制に知らせることができなかった。また、これらの車両の警告灯が点いていなかったため、暗がりの中でパイロットが発見することが遅れたことが、地上で衝突する事態となった。

関連項目

参考文献

  • デビッド・ゲロー「航空事故」(増改訂版)イカロス出版 1997年

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ローマ字表記による。実際はキリル文字表記であるため"CCCP-85243"と機体には書かれていた




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アエロフロート航空3352便事故」の関連用語

アエロフロート航空3352便事故のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アエロフロート航空3352便事故のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアエロフロート航空3352便事故 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS