フランシスコ・デ・マディナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フランシスコ・デ・マディナの意味・解説 

フランシスコ・デ・マディナ

(アイタ・マディナ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 10:19 UTC 版)

フランシスコ・デ・マディナFrancisco de Madina Igarzábal1907年1月29日 - 1972年6月30日)はスペイン作曲家聖アウグスチノ修道会の聖職者であったので、アイタ・マディナ(神父マディナ)ともいわれる。

バスク地方ギプスコア県オニャティ出身。10代で修練院に入る。オニャティやブルゴス神学と並行して音楽を学び、アントニオ・ホセらに師事した。

1929年、司祭に任命され、3年間オニャティの学校で教職についた。1932年アルゼンチンに派遣され、1955年までブエノスアイレスサルタで教区の指導や神学校の校長などの仕事にあたった。そのため彼の作品の多くはブエノスアイレスで初演された。

1955年ニューヨークに異動となり、アメリカ合衆国で作品が初演されるようになった。1971年、病気のため作曲活動を停止し、翌年4月にニューヨークから故郷に戻って数ヵ月後に死去した。

作品には『アヴェ・マリア』などの合唱曲、『ハープ協奏曲』、『バスク協奏曲』(4台のギターとオーケストラのための)などがあり、バスク民謡の影響を大きく受けている。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランシスコ・デ・マディナ」の関連用語

フランシスコ・デ・マディナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランシスコ・デ・マディナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランシスコ・デ・マディナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS