わが青春の北壁/西城秀樹とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > わが青春の北壁/西城秀樹の意味・解説 

わが青春の北壁/西城秀樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 15:51 UTC 版)

西城秀樹 > 西城秀樹の作品・出演一覧 > わが青春の北壁/西城秀樹
『わが青春の北壁/西城秀樹』
西城秀樹ライブ・アルバム
リリース
録音 1977年7月28日
ジャンル ミュージカル
時間
レーベル RCA / RVC
西城秀樹 アルバム 年表
ロックンロール・ミュージック/ヒデキ
(1977年)
わが青春の北壁/西城秀樹
(1977年)
ブーツをぬいで朝食を
(1978年)
テンプレートを表示

わが青春の北壁/西城秀樹』(わがせいしゅんのほくへき さいじょうひでき)は、西城秀樹の3枚組ライブ・アルバム[1][2]。1977年12月20日にRCAから発売された。

内容

1977年7月28日に日生劇場において開催された、西城秀樹・初のミュージカル劇団四季)「わが青春の北壁」の模様が収録されている。

収録曲

Disc.1(RVL-6004)
全作詞: 阿久悠、全作曲・編曲: 三木たかし
# タイトル 作詞 作曲・編曲
A1. 「序曲〜雪のベッドで見た夢は」(一幕) 阿久悠 三木たかし アンサンブル
A2. 「セクシーロックンロール・バンド」(一幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹とアンサンブル
A3. 「ソウルベイビー」(一幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹とアンサンブル
B1. 「サマーメランコリー」(一幕) 阿久悠 三木たかし 菱谷紘二
B2. 「嘘をつくな」(一幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹とアンサンブル
Disc.2(RVL-6005)
全作詞: 阿久悠、全作曲・編曲: 三木たかし。
# タイトル 作詞 作曲・編曲
A1. 「兄がいた」(一幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹・久野綾希子
A2. 「ブルースカイ・ブルーマウンテン」(二幕) 阿久悠 三木たかし アンサンブル
A3. 「時は流れて」(二幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹・久野綾希子
B1. 「禁じられた愛」(二幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹
B2. 「心を残して」(二幕) 阿久悠 三木たかし 滝田栄とアンサンブル
Disc.3(RVL-6006)
全作詞: 阿久悠、全作曲・編曲: 三木たかし。
# タイトル 作詞 作曲・編曲
A1. 「人生はサーカスだ」(二幕) 阿久悠 三木たかし 菱谷紘二・菅本烈子とアンサンブル
A2. 「雪の幻想」(二幕) 阿久悠 三木たかし ダンス・シークェンス
B1. 「別れの口づけ」(二幕) 阿久悠 三木たかし 久野綾希子
B2. 「ソウル・ベイビー」(二幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹・菱谷紘二
B3. 「わが青春の北壁」(二幕) 阿久悠 三木たかし 西城秀樹
B4. 「フィナーレ[注 1](二幕) 阿久悠 三木たかし  

ミュージカル

三木たかしが『ジーザス・クライスト・スーパースター』の大ファンだったこと[2]、西城秀樹も劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレム版」に感銘を受けたこと[2]、当時、日本のミュージカルスターでお客を呼べる役者はまだいなかったこと[3]、などの条件が重なり[2][3][4]阿久悠がアクション歌手・西城のために[4]、ミュージカルを創作し[3][4][5][6]、西城一人と劇団四季とのジョイントが実現した[2][3][4][6]。西城はミュージカル初挑戦[2][3][4][6]。阿久悠台本・作詩、三木たかし作曲、浅利慶太演出で、1977年7月5日-7月28日、日生劇場で公演が行われた[2][4][6]

アイドル歌手として超多忙だった西城は、四季の稽古場に1ヵ月、休むことなく通い[3][4][6]、四季独特の発声法を学んで舞台に臨んだ[6]。山と都会の場面が交錯しながら、ダンスや歌で彩られる[4]。西城のセリフ回しにはやや難があるが[4]、歌とダンスは及第点で[4]、当時、日本の創作ミュージカルは愚作続きと評されていたが[4]、本作は良作と評判を呼んだ[4]

あらすじ

山男の有光良(西城秀樹)は山を捨てナイトクラブで働く。良の兄・有光洋(滝田栄)は有名な登山家だったが、3人の友人を山で失い、自身も大ケガを負った。その北アルプス北壁に弔い合戦を決意。同行するのは妻の有光夏子(久野綾希子)と弟・良。良が山を捨てていたのは義姉・夏子を愛してしまったからだった。有光洋・夏子は遭難し、死に至る。死を目前にして夏子は良を以前から愛していたと告白する[4]

スタッフ

キャスト

スタジオ・アルバム

『わが青春の北壁/西城秀樹』
西城秀樹スタジオ・アルバム
リリース
ジャンル アイドル歌謡曲
レーベル RCA / RVC
西城秀樹 アルバム 年表
5年の歩み/西城秀樹
(1977年)
わが青春の北壁/西城秀樹
(1977年)
西城秀樹スペシャル
(1977年)
テンプレートを表示

ミュージカル『わが青春の北壁』中の楽曲のみをスタジオ録音したアルバムも、1977年7月25日にRCAから発売された[1]。8枚目のオリジナル・アルバムとなっている。

収録曲

全作詞: 阿久悠、全作曲・編曲: 三木たかし。
# タイトル 作詞 作曲・編曲
A1. 「序曲〜雪のベッドで見た夢は」 阿久悠 三木たかし
A2. 「セクシーロックンロール・バンド〜ソウルベイビー」 阿久悠 三木たかし
A3. 「サマーメランコリー」 阿久悠 三木たかし
A4. 「嘘をつくな」 阿久悠 三木たかし
A5. 「兄がいた(ダンス・シークェンス)」 阿久悠 三木たかし
B1. 「ブルースカイ・ブルーマウンテン(雪山讃歌)」 阿久悠 三木たかし
B2. 「時は流れて」 阿久悠 三木たかし
B3. 「禁じられた愛(良のアリア)」 阿久悠 三木たかし
B4. 「心を残して」 阿久悠 三木たかし
B5. 「人生はサーカスだ」 阿久悠 三木たかし
B6. 「雪の幻想(ダンス・シークェンス)」 阿久悠 三木たかし
B7. 「別れの口づけ(夏子のアリア)」 阿久悠 三木たかし
B8. 「わが青春の北壁」 阿久悠 三木たかし

復刻盤

脚注

注釈

  1. ^ 「セクシーロックンロール・バンド」〜「ブルースカイ・ブルーマウンテン」〜「人生はサーカスだ」〜「兄がいた」〜「ソウル・ベイビー」〜「わが青春の北壁」

出典

  1. ^ a b 下井草秀 (2023年12月11日). “(7)『わが青春の北壁』|復刻シリーズ[ライヴ]アルバム徹底Review”. OTONANO. ソニー・ミュージックダイレクト. 2024年5月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 西城秀樹唯一本のミュージカル 『わが青春の北壁』安倍寧オフィシャルブログ(ミュージカル企画協力)
  3. ^ a b c d e f 「おふくろの目はいつもやさしい。そのやさしさに包まれて...」『月刊明星』1977年2月号、集英社、76頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 大沼正 (1977年7月16日). “【ステージ】 ミュージカル『わが青春の北壁』(日生劇場) 『好ましいエネルギー 西城、歌と踊り及第点』”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7 
  5. ^ 阿久悠オフィシャル・ウェブサイト あんでぱんだん
  6. ^ a b c d e f 林尚之 (2018年6月9日). “朝丘雪路さんと西城秀樹さん、ともに舞台でも活躍”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). オリジナルの2018年6月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/aLeeK 2024年5月24日閲覧。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「わが青春の北壁/西城秀樹」の関連用語

わが青春の北壁/西城秀樹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



わが青春の北壁/西城秀樹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのわが青春の北壁/西城秀樹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS