もう一つの「ラ・チェトラ」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 06:35 UTC 版)
「ラ・チェトラ (ヴィヴァルディ)」の記事における「もう一つの「ラ・チェトラ」」の解説
作品9を出版した翌1728年にヴィヴァルディは、カール6世と1719年から直轄都市となっていたオーストリア領の港町トリエステで謁見を果たし、その際に手書きの楽譜による12曲の協奏曲を「ラ・チェトラ」と題してカール6世に献呈している。この行為は、ヴィヴァルディがカール6世のさらなる歓心を買うためのものと考えられ、ヴェネツィアの文筆家アントニオ・シネラ・コンティ神父 (Antonio Schinella Conti) からフランスのド・ケリュス伯爵夫人への手紙の中で、カール6世は「ヴィヴァルディと過ごした2週間で大臣と2年間に話すよりも彼と話した」と噂されるほどに親密となり「ヴィヴァルディに多額の金品と金鎖付きのメダリオンを賜った」とされる。カール6世に献呈した手稿譜には1728年付けのパート譜が残っており、作品9と同じものは第12番(RV 391)1曲のみで、他は別の曲である。その中の第3番(RV 202)と第11番(RV 277)は、作品11に第5番と第3番の曲として収録されている。
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