ねぶた起源説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 04:26 UTC 版)
この山の裾野から雲谷沢および横内川が発する。この流域に女酋長、阿弥須(オヤス)と弟の屯慶(トンケイ)が率いる蝦夷の集落があり、坂上田村麻呂がこれを征伐しようとしたが難航した。蝦夷を驚かすために太鼓や鐘を鳴らしたのが青森ねぶたの始まり、とする。この説は昭和のころまで青森市民に信じられており、「ねぶたの里」という観光施設も当地にあった(東北新幹線田茂木野トンネルと雲谷平トンネルの間)。しかし平成以降、史実の上では田村麻呂が青森県には達していないということが判明しこの説は公的に否定されることとなった(その隷下である文室綿麻呂は来た可能性がある)。一方、この地区より北東約2.5kmの幸畑には熊野神社があり蝦夷の砦の跡とされ、また北3kmほどの妙見にある大星神社は征伐軍の戦勝祈願の地とされる。人物は特定できなくとも蝦夷征伐の痕跡が付近に残っている。
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