それぞれの部屋にこもりて夜の長き
| 作 者 | |
| 季 語 | |
| 季 節 | 秋  | 
| 出 典 | |
| 前 書 | |
| 評 言 |  生き方には百人百通りの生き方があると思いますが、最近は個人主義で、それぞれの考えをもつ家族、夫婦が個々の部屋の戸を閉め「となりは何をする人ぞ」なのでしょうか。 今は小学生でも、テレビ・部屋が与えられているという。少子化の時代だから子どもを大切にしているのは分かるのですが、団塊の世代として生まれたものとしては「狭いながらも楽しい我が家」で団欒を過ごす良さは何物にも代え難いものだと思うのですが・・。 ところで、読書・ゲーム・メール・物思いにふける等、一人っきりになる事は人間関係の煩わしさから解放される自由が得られますが、この句の「こもりて」で遮断されたドアーがそこに見えます。 自分を追い込んでいる独りがいます。その独りが「長き夜」でない、感覚でとらえた「夜の長き」を過ごしているのでしょう。 | 
| 評 者 | |
| 備 考 | 
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