お市の方とは? わかりやすく解説

お市の方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 01:22 UTC 版)

お市の方(おいちのかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。初め近江戦国大名浅井長政継室で、後に織田家重臣の柴田勝家正室となった。小谷の方(おだにのかた)、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「お市姫」(お市御料人)とも云い[1]、『好古類纂』収録の『織田家系譜』には「秀子」という名が記されている[2]


注釈

  1. ^ a b 享年37とだけ伝えられており、生年は没年から逆算したものである。後述のように生年には異説がある。
  2. ^ a b 市の年齢は天文16年出生説に従うと20代となり、戦国期大名家中における女性の初婚年齢は平均13〜14歳で初婚としては遅く、市の生年が誤りであるか初婚でない可能性が指摘される他、市と長政の婚姻を永禄4年とする説も提唱されている[4]
  3. ^ 市は通説では信長の妹であるが、江戸時代の『織田系図』に信長の従兄弟・織田広良(與康)の娘と記され、『以貴小伝』では「いとこにておはせしを妹と披露して長政卿におくられしにや」と記述されるなど従妹[5]とするものがあり、信長の叔父・織田信光の娘との説もある。
  4. ^ 信包の生母を土田御前とする場合はこれに信包も加わる。また、信長や信包の市に対する待遇が姉妹の中では大変厚かったことから、信長・信包の同腹の妹であるという説もある。
  5. ^ a b 長女の茶々(淀殿)は通説では浅井長政との娘だが、『浅井氏家譜大成』を根拠として、茶々は連れ子という説があり、当時では晩婚であったために長政以外の男性に嫁いだ可能性がある。
  6. ^ 明正天皇は独身で子がなかった。しかし、三女・江の娘・豊臣完子は九条幸家に嫁いで九条道房を生み、その子孫が大正天皇皇后・節子昭和天皇の母であるため、今上天皇と血が繋がっている。
  7. ^ 宮島敬一は永禄10・11年説はないとしたうえで、婚姻は永禄2年6月以降遅くとも永禄6年を下らない時期とする[11]
  8. ^ 江戸時代前期の寛文の末に書かれた軍談物『 浅井三代記』では、兄・信長の「娘分」として永禄7年(1564年)に近江国浅井長政に嫁いだとされる。
  9. ^ 奥野論文で存在が指摘された永禄8年12月に出された和田惟政から三雲定持・成持父子に充てられた書状(「福田寺文書」)の中に六角義賢が惟政に信長と長政の縁組の斡旋を指示したとする記述がある。当時、和田は足利義昭の上洛のために信長との交渉にあたっており、六角氏もこの時点では義昭方であった(後に離反する)[12]
  10. ^ 浅井氏家譜大成』によると、長男の万福丸は長政の先妻の子。次男の万寿丸は実母不明だが側室の子とされる。
  11. ^ 信長によって結婚の際に織田家から付けられた家臣。
  12. ^ 『渓心院文』[16]
  13. ^ 『南行雑録』所収堀秀政宛て天正10年10月6日勝家書状「覚書」[18]
  14. ^ 勝家と夫婦であった期間は6か月ほどに過ぎない。
  15. ^ 成人後の淀殿と兼任。

出典

  1. ^ a b 桑田 1979, p. 274.
  2. ^ 足立尚計著『風の俤 福井の客人たち』能登印刷出版部 2001年8月 ISBN 4-89010-385-6
  3. ^ a b c d 岡田 1999, p. 149.
  4. ^ 長浜市長浜城歴史博物館, 太田浩司「北近江の戦国史」.
  5. ^ 西ヶ谷 2000, p. 246.
  6. ^ 神田 2008, p. 97.
  7. ^ a b c 岡田 1999, p. 148.
  8. ^ a b 西ヶ谷 2000, p. 247
  9. ^ a b 奥野高廣「織田信長と浅井長政との握手」『日本歴史』248号、1969年。 
  10. ^ 宮本 1986.
  11. ^ 宮島敬一『浅井氏三代』吉川弘文館、2008年、177頁。 
  12. ^ 久保尚文「和田惟政関係文書について」『京都市歴史資料館紀要』創刊号、1984年。 /所収:久野雅司 編著「足利義昭」、戒光祥出版、2015年、ISBN 978-4-86403-162-2 
  13. ^ 神田 2008, pp. 104–105.
  14. ^ 永田恭教「江と信長-知られざる前半生-」『歴史読本』56巻7号、2011年。 
  15. ^ 桑田 1979, p. 276.
  16. ^ 宮本 2010, pp. 66–74.
  17. ^ 宮本 2010, pp. 74–75.
  18. ^ 高柳光寿『戦史ドキュメント 賤ヶ岳の戦い』〈学研M文庫〉2001年、25-26、226-227頁頁。 (原本 春秋社 1978年)
  19. ^ a b c 桑田 1979, p. 278.
  20. ^ 桑田 1972, p. 15.
  21. ^ 桑田忠親『淀君』吉川弘文館、1958年、5-6頁。 
  22. ^ 桑田 1972, p. 169.
  23. ^ 神田 2008, p. 106.
  24. ^ 神田 2008, p. 107.
  25. ^ 宮本 2010, pp. 93–94.
  26. ^ 宮本 2010, pp. 90–92.
  27. ^ 北川 2008, pp. 197–198, 「それからのお市と娘たち」.


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