いつ引退するのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 16:36 UTC 版)
山本は前述したヤマセイ日記では当初、デビュー10年目にあたる28歳頃が引退の年齢になるのではないかと綴っていた。つまり当初から選手としての在籍期間は10年間と決めていたふしがある。しかし実際にはそうならず、31歳の年齢である1961年に引退した。同年12月25日、登録消除。 これは28歳に到達したとき、山本自身がまだまだ現役として精神的、肉体的にも頑張れることから、「だったらまだあと3年ぐらいは頑張ってみようではないか。」とくだんの日記に記したことが起因している。 そして日記に記した3年後となる1961年11月の大阪住之江競輪場の開催をもって現役を引退することになった。もっとも当時、力が衰えたどころか、まだまだトップクラスで戦える力を十分持っていた。 後年、フランシナ・ブランカース=クン夫人のヘルシンキ五輪での惨敗を見て、無敵の勝者もいつかは衰える日が来る、そうなる前にやめたい、という日記の一節をスピードチャンネルで自ら読み、早い引退に至った心境の一端を語った。
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