『伐宋露布』
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英武昭勝元年(1076年)12月、李常傑率いる大越軍が宋領内に進攻した折、軍の先頭に掲げた檄文である。『伐宋露布』の大意は「宋の施行する青苗法、免役之法は民を苦しめている。我らはその窮状を救うべく参じた」。この文面をもって、宋の民衆を動揺させ、扇動を図ったものである。この文面は、司馬光の『涑水紀聞』、李燾の『続資治通鑑長編』などに記録が残る。 天生蒸民、君德則睦。君民之道、務在養民。今聞、宋主昏庸、不循聖範。 聽安石貪邪之計、作青苗助役之科。使百姓膏脂塗地、而資其肥己之謀。 蓋萬民資賦於天、忽落那要離之毒。在上固宜可憫、從前切莫須言。 本職奉國王命、指道北行。欲清妖孽之波淘、有分土無分民之意。 要掃腥穢之汚濁、歌堯天享舜日之佳期。 我今出兵、固將拯濟。檄文到日、用廣聞知、切自思量,莫懷震怖。 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。『涑水記聞』巻第十三
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