『アラキリ』その他の活動舞台
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「ジャン=マルク・レゼール」の記事における「『アラキリ』その他の活動舞台」の解説
さらに、1960年にフランソワ・カヴァナとジョルジュ・ベルニエ(フランス語版)が『アラキリ』を創刊した際にフレッド (Fred : Frédéric Othon Théodore Aristidès) らとともにこれに参加した。「バカで意地悪な新聞」と銘打った『アラキリ』は当時のカウンターカルチャーを代表する存在であり、その斬新でショッキングな内容により報道界に新風を巻き起こしていた。既にカビュ、ジョルジュ・ウォランスキ、ジェベ (Gébé) から活躍しており、レゼールもここで独自の画風やキャラクターを生み出すことになった。 1966年からゴトリブ(フランス語版)、アレクシス (Alexi)、ジャン=クロード・メジエール、ニキータ・マンドリカ(フランス語版)らとともに『ピロット(フランス語版)』に参加。フランス五月革命 (Mai 68) ではシネ (モーリス・シネ)(フランス語版)やウォランスキとともに『アクシオン (Action)』(短命ながら五月革命において非常に影響力のあった新聞)に風刺画を掲載した。 『アラキリ』が発禁処分を受けた後、これに代わる新聞として創刊された『シャルリー・エブド』に参加。ジャーナリストのピエール・フルニエがエコロジー運動の一環として創刊した『ラ・グル・ウヴェルト(フランス語版)(大口開けて / 黙っていられない)』(レゼールはエコロジーの問題に深い関心を寄せていた)、『メタル・ユルラン』、『レコー・デ・サヴァーヌ(フランス語版)』(コリューシュとの共作)、『ル・モンド』など、多数の新聞・雑誌に風刺画を掲載した。
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