「大錦」同士の対戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 09:35 UTC 版)
本場所では一度も機会が無かったが、東京相撲との合併興行では同じ「大錦」を名乗る大錦卯一郎と対戦している。1916年10月31日から大阪新世界で行われた晴天10日間の「東西合併大相撲」の6日目に対戦したが、大五郎の方は当時「朝日山」を名乗っていた。取組は、大錦が土俵際で朝日山の左下手投げをこらえてからの右小手投げで勝利した。1919年9月12日から10日間開催された大阪国技館落成記念「東西合併大相撲」でも千秋楽に対戦が組まれたが、この時は朝日山が「大錦」に戻っていたため、大錦大五郎と東方の大錦卯一郎、それぞれが「大錦」を名乗る者同士での対戦となった。この時は卯一郎が吊り出しで勝利した。 「大錦」の四股名を襲名したのは大五郎の方が先であるが、卯一郎の方は「故郷である大阪に錦を飾れ」との意味を込めて「大錦」としたが、この時点で既に大錦大五郎が存在しているのを承知で名付けたため、大五郎は不快感を持っていたと伝わる。
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