「三原」という地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/09 02:49 UTC 版)
「三原」という地名について諸説あるが、寛正2年(1461年)に備後国納所村(現在の広島県三原市)桜山城主の三原豊後守廣吉が落ち延びて来て三原三郎四朗と称し、住み着き、川手(東川手村、西川手村)を三原(東三原村、西三原村)と改めたことによるとされる。 ただし、三原豊後守廣吉が落ち延びて来る(隠居という説もある)以前から広島県三原市に存在する糸崎という地名があったという説もある上、井原市芳井町三原地区に隣接する高梁市川上町には、高山(こうやま)という地名が存在し、三原市に存在する高山(たかやま)と読み方は異なるが同じ地名が存在するなど、三原市との関係について未だに不明な点も多い。
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