3・2・1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/03 16:35 UTC 版)
『3・2・1』 | ||||
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zilch の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1996年1月7日[1] - 1997年7月17日[2] A&M Recording Studios | |||
ジャンル |
インダストリアル[3] ニュー・メタル[3] オルタナティヴ・ロック[3] インダストリアル・ロック[3] | |||
時間 | ||||
レーベル | cutting edge | |||
プロデュース | レイ・マクヴェイ | |||
チャート最高順位 | ||||
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ゴールドディスク | ||||
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zilch アルバム 年表 | ||||
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概要
元キリング・ジョークのポール・レイヴンと元プロフェッショナルズのレイ・マクヴェイを迎え、ニューヨークで結成されたhide率いるロックバンド「zilch」のデビューアルバム。
このプロジェクトが動き出したのがhideの1stソロツアー終盤に、ある音楽関係者から音源を渡されたhideが「こういうの好きでしょ?」という問いかけから始まったという。
未発表曲の存在がhideの共同プロデューサーであるI.N.Aによって明らかにされている曲があり、hideの2ndアルバム『PSYENCE』に収録されているインダストリアル色の強い曲「DAMAGE」。これまでhideミュージアムが閉館される最終キャンペーン中に館内で流された他、hide関連のイベントで幾度か披露されている。音源化の予定は2018年5月現在の情報ではなし。
録音
レコーディング期間は1996年~1997年の2年間にかけて行われている。これはアルバムの歌詞カードにて確認が出来る。トラックごとに製作時期にクレジットが付いていていつレコーディングをされていたのかが読み取れる。余談ではあるが初回限定盤の歌詞カードにローマ字による日本語でhideの死へのメッセージがメンバーによって書かれている。
I.N.Aはインダストリアルに精通していたBill Kennedyの勧めでプログラマー・Eric Caudieuxから本プロジェクトのサウンドメイキングにおける素材編集ソフト「Pro Tools」によるテクニックを出し惜しみ無しに教えてもらった。今まで慣れ親しんでいた「Digital Performer」を手放して「Pro Tools」にシフトし、使用方法の勉強・波形編集の反復練習を繰り返した。この作業は1曲につき1万箇所以上の編集をしなければならず、想像以上の時間と手間がかかったが、その見返りは大きくそれまでhideとI.N.Aが焦がれていても手に入れることができなかった「ナイン・インチ・ネイルズ」等のインダストリアルに代表される「グルーヴ無きグルーヴ」を手に入れることができた[4]。
Billによるギターの音作りも通常の「1本のギターに対して1台のギターアンプを鳴らす」手法を「高音を上げると低音が物足りなくなる」「低音を出すと中音が消えてしまう」等トータルな調整が難しいと使用せず、特殊なスプリッタを使い1台のギター何台ものギターアンプを同時に鳴らし、それぞれのアンプの属性を考慮できた良い部分のみを抽出した後に編集することで完璧なギターサウンドを目指した。但しこのスプリッタはカナダの製造メーカーからの個人輸入であり、「すぐに解析されて、安価で作られてしまう」という理由で日本への輸出が許可されていない、リベットで厳重に接合された曰く付きの代物だった[5]。
録音機材も1990年代には定着していた「SONY PCM-3348」ではなく1970年代~1980年代に活躍した「Studer A800」を使用し、録音した素材をコンピューターに取り込んで編集する方針にした[6]。
但し、実際の制作現場は真面目とは程遠く、様々な玩具がちらかり、スタッフ・ミュージシャンが平気でビールを飲み、放送禁止用語を連発し、犬を連れ込み、排泄物が落ちていて、アダルトビデオが流れるのが日常茶飯事だった[7]。hide・I.N.Aが「PSYENCE」制作・「hide solo tour PSYENCE A GO GO」開催のため不在だった時に、スタジオに遊びにきたミュージシャンを次々とレコーディングに参加させて、自由に創作活動をさせた。そのスタイルは良く言えば柔軟性があり、悪く言えば計画性のないものでzilchのコンセプトを見失わせ、制作そのものが暗礁に乗り上げてしまった状況にhide・I.N.Aを愕然とさせた[8]。制作費がかさみ続け、桁が1つ増える間際の状況にhideはI.N.Aを避難させて、自ら「発狂」と称した環境整備を行い、一気にアルバム完成へと向かわせた[9]。
音楽性とテーマ
楽曲の製作方法は、hideが日本語で歌った曲に対してレイが「hideの発音する日本語の発音に近い英語」を当てはめていく形で行われた。その結果、英語が日本語のように聴ける曲が存在する[10]。
「後先考えない」ことをコンセプトとして重視し、音色の練り上げとアレンジに集中した[10]。
そのおかげでhideは自分の方向性が間違っていなかったことを確信し、ノウハウを「ROCKET DIVE」以降の作品につなげる事ができた[10]。
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