車掌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/18 09:16 UTC 版)
著名な人物
- 朝比奈隆 - 指揮者。駆け出しの1931年から2年間、阪急電鉄で車掌を務めていた。
- 佐藤良二 - 国鉄バス名金急行線車掌、「太平洋と日本海を桜でつなごう」の桜植樹で知られる。
- 伊藤敏博 - 元国鉄車掌。金沢鉄道管理局内で乗務していた。
- 赤星憲広 - 阪神タイガース入団前の社会人時代、JR東日本で車掌資格を取得するものの、一度も乗務せずプロ野球界入り。
- 諏訪哲史 - 元名古屋鉄道車掌。
- 坂本衛 - 元国鉄車掌。大阪鉄道管理局管内の車掌区に所属していた。車掌業務に関する著作がいくつかある。
- 岡田重雄 - 元国鉄車掌。1959(昭和34)年、第1回「ゆうもあ賞[6]」受賞、「新幹線車掌日記」(1981年)著者。
脚注
関連項目
注釈
- ^ JRバスの路線に多い。その場合共同運行会社の乗務員が担当する場合もある。JRバスの首都圏・京阪神間の路線では中間地点の三ヶ日に乗務員施設があり、JRバス関東の運転士と西日本JRバスの運転士が交代する。
- ^ クリスタルライナーやカルスト号などで実施。後者は途中で乗務員交代も行っている。
- ^ ただし、消灯時間以外はハンドルを握らない乗務員が案内放送や乗客サービスを行うことが一般的である。
- ^ ブザー、電鈴に手をかけている会社は、万が一の場合、ブザー、電鈴を乱打し運転士に非常ブレーキを要求する方式となっている。ただこの方式だと、合図を確認してから非常ブレーキ操作になる為、非常ブレーキを直接操作するより若干時間がかかる。
- ^ 例として、大阪車掌区はJR化後も青森や南宮崎までの乗務が存在した。
- ^ JRの例として、(ワイドビュー)南紀・みえ(JR東海の車掌が伊勢鉄道伊勢線内も乗務)/かがやき・はくたか(JR西日本の車掌が上越妙高~長野間も乗務)/しなのサンライズ・しなのサンセット(しなの鉄道の車掌が信越本線篠ノ井~長野間も乗務)/スーパーはくと(智頭急行の車掌が山陰本線倉吉~因美線智頭間も乗務)が該当する。
- ^ アムトラックの寝台車には、寝台券を持つ旅客しか立ち入りが認められていない。
- ^ ただし鉄道会社によっては、人事昇進ルートの位置づけから駅係員から車掌・運転士を経験後(あるいは車掌を経験後)再び駅係員へ異動する場合がある。
- ^ 在来線では優等列車乗務だけでなく、間合い乗務で普通列車に白い制服のまま乗務することがある。
出典
- ^ a b 武部健一『道路の日本史』中央公論新社〈中公新書〉、2015年5月25日、178-179頁。ISBN 978-4-12-102321-6。
- ^ 鈴木文彦『高速バス大百科』p200(1989年8月9日初版・ISBN 4924420360)
- ^ コラム「三井を読む」中上川彦次郎
- ^ 「国鉄、2万5000人の削減を提示」『朝日新聞』東京本社版1986年8月1日朝刊1面、朝日新聞社東京本社
- ^ “接客制服のリニューアルについて”. 2020年9月6日閲覧。
- ^ ゆうもあクラブ
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