着付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 02:13 UTC 版)
着物の手入れ
畳み方
- 本畳み
- 衽同士を合わせ、ずらしながら背中心で半身に畳む。一般的に正式な畳み方とされている。
- 夜着畳み
- 礼装用の着物などで刺繍や箔などが施されている場合、本畳みでその部分に折り目が付いてしまうことを避けるための畳み方。
- 絵羽畳み
- 「仮仕立て」「仮絵羽」と呼ばれる仮縫い状態の着物のための畳み方。
- 肩畳み
- 衣桁などに仮に掛けたり、一時的に畳んでおく場合の畳み方。背中心から折り込んで衿が肩の方を向く畳み方で、洋服の畳み方に似ている。なお、この畳み方を本畳みであるとする専門家もいる[要出典]。
- 袖畳み
- 日常着などを仮に畳んでおく場合の畳み方。
長襦袢や羽織などは、長着とは別に、それぞれに応じた畳み方がある。
洗濯
着物の洗濯は、伝統的には、すべてほどいてパーツに分解して洗う「洗い張り」で行う。洗い張りのあとは元の形に仕立て直すが、この際に寸法を変えたり、傷んだ部分を目立たない場所に置き換える「繰り回し」を行うこともある。
現代の家庭においてこの方法で着物を洗濯し、なおかつ縫い直すことは困難であるため、専門業者である「悉皆屋」に依頼するものとなっている。近年では、着物の形のまま丸洗いするクリーニングもあり、これは洗い張りよりも安価で済む。
木綿やウールなどで仕立てられた普段着は、家庭で容易に洗濯できるものが多い。また、正絹に風合いを似せた、ポリエステルなど化繊製の「洗える着物」(「通常の洗濯方法で洗える」の意)も増えている。
右前(右衽)と左前(左衽)
着物を着る際、手を袖に通した後、右の衽(おくみ)を体に付けてから左の衽をそれに重ねる。このことを「右衽(うじん)」という。右の衽が自分から見て左の衽よりも手前側に来ることから、「右前(みぎまえ)」とも呼ぶ。
死者に死に装束を着せる場合、通常と反対に「左前」(ひだりまえ)に着せるため、左前は不吉とされる。これは「死後の世界はこの世とは反対になる」という思想があるためであるといわれている。
日本で着物をなぜ右前にするのか、またいつから右前にするようになったのかについては、諸説がある。
人型埴輪には右前と左前が混在しており[3]、飛鳥時代までは両方あったと推測されている[4]。
文武天皇は唐の風俗や制度を多く受け入れ、服装に関しても唐に習い大宝元年(701年)には律令「養老の衣服令」を発布し、礼服を右前に統一させた[5]。また719年には身分を問わず右前とする令が下された[3]。
日本では平安時代には右前が浸透したとされている[3]。
中国で左前にすることが嫌われたのは「蛮族の風習であるため」とされたが、この蛮族というのは北方に住む遊牧民のことで、彼らは狩猟を主な生活として行う上で弓を射やすいという理由で左前に着ていた[3]。農耕民である漢民族とは全く違う暮らしをし、しばしば農耕民に対する略奪を行っていた遊牧民は、中国の古代王朝にとっては野蛮で恐るべき存在であり、これと一線を画することを決定したという説がある。それまでは中国でも左前に着ていた時期が存在する。
この他にも、一般的に右利きが多く、右手で刀を抜きやすいように腰の左側に刀を差すことが多いため、刀を鞘から抜こうとするとき、抜こうとした刀が衿に引っかかってしまうことがないように、右前に着るようになったという説もある。
弓による狩猟を行っていたアイヌ民族の衣装も本来左前であるが、現在は和服の作法に倣った右前としている。
脚注
注釈
- ^ 「装道」という言葉があるが、これは1970年代に一企業が商標登録したものであり、着付けを指す一般的な語ではない。
- ^ 現代でいうウエストニッパーに近いが、ほぼ全体がゴム製の、腰回りを抑えるファウンデーション。ガーターベルトが付属することもあった。当時は洋装の下着にはブラジャーと並んでこのコルセットが必須とされていた。
- ^ 昭和32年の『主婦の友』4月号には、「体の美しい線を出す新しい装い方」という記事が掲載されている。
- ^ 「晴れ着」という語が登場したのはこの頃からであるが、以降、「晴れ着」と「和服」の同一視など、和装の衰退に伴う用語の混同もみられるようになる。
- ^ この頃、着付けのためのさまざまなアイデア商品が生まれた。現在では使われなくなったものも多いが、上述の和装用ブラジャー、メッシュの帯板や衿芯、コーリンベルト(腰紐として使う、ゴムベルトの両端にクリップがついたもの)などは現在もよく使われている。
- ^ 長襦袢の代わりに、半襦袢と裾よけからなる「二部式襦袢」もよく用いられる。
- ^ 腰紐や伊達締めは、結び目がごろつかないよう、結ばずに2回絡げて交差させ、余った部分は挟み込むのが伝統的な締め方である。
- ^ 帯締めは、若年者では上寄り、年配者では下寄りに締めるのが良いとされているが、これも昭和30年代後半以降に確立した慣例であり、それ以前は好みによって自由に締められていた。
- ^ 羽織は、首元で衿を半分外側に折り返し、衿全体が自然に折り返るように着る。折り返しやすいように衿首の部分に千鳥がけが施されていることも多い。羽織紐はたらしたままにせず必ず結ぶ。
出典
- ^ a b c d 小泉和子編『昭和のキモノ』河出書房新社〈らんぷの本〉、2006年5月30日。ISBN 9784309727523。
- ^ “やっぱり着物はしょせん服です。~「高円寺リサイクル着物処豆ぶどう」の店主の何でも着物の日々~”. 2020年11月26日閲覧。
- ^ a b c d 国立国会図書館. “日本の衣服の着方「右衽」(うじん)について,飛鳥・奈良時代の図版を探している。”. レファレンス協同データベース. 2023年4月21日閲覧。
- ^ 『服装 1958年5月号』同志社、1958年。
- ^ “養老の衣服令による命婦礼服 | 日本服飾史”. costume.iz2.or.jp. 2023年4月21日閲覧。
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