目黒のさんま 背景

目黒のさんま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 23:15 UTC 版)

背景

この噺は作者不明の古典であり、現在演じられている内容から背景を特定することは困難である。当時の「目黒」は現在よりもさらに広範囲を指していたが、事物を演者が好きに折り込んだため、あたかも実話由来の噺と思われており、地元の観光素材などに用いられている。

鷹狩場

江戸時代将軍の広大な鷹狩場は複数あり、単に「御場(ごじょう)」とも呼ばれ、その一つが「目黒筋」である(旧称:品川)。文化2年(1805年)の「目黒筋御場絵図」[2]によれば「目黒筋御場」の範囲は、現在の大田区西馬込などにあたる馬込、現在の世田谷区ほぼ全域および狛江市にあたる世田谷麻布品川駒場など広い範囲が含まれる。

江戸期に目黒筋鷹狩場の番人の屋敷であった場所は、現在鷹番と呼ばれている。

鷹狩場近辺に徳川幕府の庇護下にあって繁栄した目黒不動があったが、鷹狩から目黒不動参詣のあと近辺の茶屋で休息したといわれており、その話が成立のヒントとなった、とする説を地元が採用している。この茶屋は百姓の彦四郎が開いたとされ、将軍家光が彦四郎の人柄を愛して「爺、爺」と呼びかけたことから爺々が茶屋と称された。この爺々が茶屋は歌川広重の「名所江戸百選」で題材とされている[3]

爺々が茶屋の場所に以下の2説がある。

現在の渋谷区
林百助(俳号、立路)の随筆『立路随筆』に「祖父が茶屋(じいがちゃや)」は「目黒道玄坂」にあったという記述がある。道玄坂は現在の渋谷道玄坂だが江戸期は目黒道玄坂と呼ばれていた。
茶屋坂。前方の煙突は目黒清掃工場
現在の目黒区
目黒区内の、目黒駅恵比寿駅の中間でポーランド大使館とアルジェリア大使館の近くに「茶屋坂」があり、この近辺に爺々が茶屋があったと伝聞され、目黒区教育委員会が「茶屋坂と爺々が茶屋」の告知板を設置している。同地と目黒清掃工場の間に茶屋坂街かど公園がある。

主人公の殿様は赤井御門守、あるいは単に「然る御大名」とだけ描いて名前を付さない演出も多く、実在の殿様とは関係ない。

柳家禽語楼は、「殿様」を出雲国(出雲の国なので「雲州」とも呼ばれる)、松江藩藩主・松平家(松平出羽守)の当主[4]としており、以降これを踏襲する者が多い。何代目であるか特定していないが、寛永年間の噺としていることから松平直政とも推察できる。

林家彦六(稲荷町)は殿様を徳川将軍家とした。殿さまが後で食べるサンマを江戸の日本橋で水揚げされたものとせず、徳川御三家の一つである水戸で水揚げされたものとする大きな話に仕立てている。

殿さまが御殿で後に食したサンマは、上記のように日本橋で買ったものとして暗に高級を示唆する[5]が、最初に目黒(の茶屋)において食べたサンマはどこで手に入れたものか。噺の中にそれを特定する根拠は何もないが、愛好者の間では以下の諸説が語られている。

  • 芝浜の魚市場(ざこば)
芝浜の魚市場は現在の港区にあった。そこでサンマを購入し徒歩で茶屋まで運ばれたという説である。
噺家の四代目古今亭志ん好(柳家三寿、柳家金語、三遊亭金魚、1901 - 1994年)の説[6]によれば、江戸時代には目黒は芋の産地で行商が盛んに行われていたが、「目黒のいも」の大需要地が、東海道品川宿と、大きな魚市場が当時存在していた芝であった。目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという。
  • 別の魚市場
目黒は現在の天王洲あたりとなる目黒川河口の雑魚場から揚がる新鮮な近海魚が入手可能で、新鮮なサンマが手に入り易い場所だったとする説がある。雑魚場は、目黒川河口に確認できず、芝浜の雑魚場と同じ可能性もあり、位置が明確でなく真偽は不明である。海と無縁な場で食した魚が美味かったとする噺の趣旨とも異なる。
これは、最初に将軍の口に入ったのが「新鮮でないサンマ」か「新鮮なサンマ」かという違いでもある。ちなみに築地にはこのころ魚市場は存在していない。
目黒川に遡上したサンマを農民が捕獲したものとも言われる。現在でも目黒川河口はボラスズキハゼなどの食用魚が生息する。1980年代前半に東京湾で大量にサンマが発生して江戸川などの河川を遡上したこともあった。
  • 日本橋の魚河岸
輸送が不便だった当時は、現場ですぐ淡塩(うすじお)をあてた。九十九里浜で捕れたサンマは速度の遅い和船で1昼夜かけて日本橋の魚河岸に運んだが、魚味が定まっており手を加えずに食せた[7]。目黒近辺はサトイモの産地で、サトイモと塩漬けサンマを日本橋で物々交換していた、とする説もある。

  1. ^ 読売新聞オンライン(2022年8月29日)
  2. ^ 「目黒筋御場絵図」、国立公文書館 デジタルアーカイブ
  3. ^ 立川寸志 (2021年11月21日). “お殿様はなぜ旬の魚に出会った?「目黒のさんま」のなぞを解く 落語家・立川寸志さん特別寄稿(上)”. 中日新聞web. https://www.chunichi.co.jp/article/364359?rct=kd_zokan 
  4. ^ 目黒区 歴史を訪ねて 目黒のさんま
  5. ^ 彦六のみ描写が異なる
  6. ^ 山下勝利『芸バカ列伝』
  7. ^ 本山荻舟『飲食事典』1958年、平凡社
  8. ^ 「今年は特別!目黒のさんま祭り 被災地から感謝のサンマ」スポーツニッポン2011年8月29日
  9. ^ a b 目黒のさんま祭り 公式サイト
  10. ^ 目黒のさんま祭り 応援サイト
  11. ^ 「目黒のさんま祭りに例年の倍の2万人超」2009年しながわ写真ニュース
  12. ^ 不漁だった2013年、16年、17年は北海道に水揚げされたサンマを提供。2019年は宮古・北海道ともに不漁だったため、2018年に宮古に水揚げされ冷凍保存されたサンマを提供
  13. ^ 2007年9月8日読売新聞夕刊3版15頁、All About Japan
  14. ^ 1350kHzは広島県にあるRCCラジオ親局と同じ周波数である。
  15. ^ 目黒区今日このごろ」2009年9月
  16. ^ 区民生活部地域振興課区民活動支援係
  17. ^ 目黒のさんま祭気仙沼実行委員会 公式ウェブサイト
  18. ^ 大盛況!「やっぱり、さんまは目黒にかぎる」第40回目黒区民まつり開催(平成28年9月18日)”. 目黒区 (2016年9月26日). 2018年4月11日閲覧。
  19. ^ 目黒区文化・交流課 (2021年11月1日). “目黒のさんま祭25周年記念新作落語コンテスト結果発表” (PDF). めぐろ区報. 目黒区. p. 12. 2021年10月28日閲覧。
  20. ^ となりの恵比寿サンマ祭り 2009
  21. ^ 「目黒のさんま」に敬意を表して、同じ調理方法はとらないとしている。
  22. ^ 梶村良仁. “目白の秋刀魚!!この街に広げたいです!!”. 目白 ブラッスリー ラ・ムジカ ブログ. excite blog. 2021年10月12日閲覧。
  23. ^ 目黒区みどり土木政策課地域交通係. “東部地区地域交通バス「さんまバス」の実証運行スタート!”. めぐろプラス. 目黒区. 2024年3月20日閲覧。
  24. ^ 春風亭一之輔×hy4_4yh、古典落語「目黒のさんま」を楽曲に”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2020年9月30日). 2021年10月22日閲覧。
  25. ^ 星野リゾート (2022年7月20日). “【星のや東京】落語協会所属の真打「玉屋柳勢」による落語を聞き、話に出てくる秋の旬の味覚を堪能する「東京・ご馳走落語」開催|期間:2022年9月1日~11月30日”. NEWSCAST. ソーシャルワイヤー株式会社. 2022年8月8日閲覧。






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