珍 珍の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 19:03 UTC 版)

倭の五王系譜・天皇系譜
宋書』倭国伝 梁書』倭伝
 
 
 
 
 
 
 

(421, 425年)

(438年)
 

(443, 451年)
 
 
 
 
 
 

(462年)

(478年)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本書紀』の天皇系譜
(数字は代数、括弧内は和風諡号)
15 応神
(誉田別)
 
 
16 仁徳
(大鷦鷯)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17 履中
(去来穂別)
18 反正
(瑞歯別)
19 允恭
(雄朝津間稚子宿禰)
 
 
 
 
 
 
 
 
20 安康
(穴穂)
21 雄略
(大泊瀬幼武)

の弟で、「倭の五王」の1人。第18代反正天皇に比定する説が有力視されるが[2][3][4]、第16代仁徳天皇に比定する説もある[1][5]。『宋書』では讃が死んだ後、王位についたと書かれているが、死んだ、または退位したという記事は無い。倭の五王のうち、最後のを除けば、死んだと書かれていない唯一の王である。

記録

宋書

宋書』列伝
夷蛮伝 倭国の条(宋書倭国伝)では、兄のの死後に珍が王に立ち、に遣使貢献し「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭国王」と自称して上表文を奉り除正を求めたところ、文帝は「安東将軍 倭国王」とするよう詔したとする[6][7]
また、珍が倭隋ら13人に対する平西・征虜・冠軍・輔国将軍号の除正も求めたところ、文帝は詔して全て認めたとする[6][7]
この後、珍が死んだという記事が無いまま、突然「倭国王」の遣使記事が現れる。済が王位についたという記事も無い。当然、続柄も書かれていない。
『宋書』本紀
文帝紀 元嘉7年(430年)正月是月条では、倭国王が遣使して方物(地方名産物)を献上したとする(讃または珍、またはその間の王の遣使か)。
また文帝紀 元嘉15年(438年)己巳条では、倭国王の珍を「安東将軍」となしたとする[6]
さらに文帝紀 元嘉15年(438年)是歳条では、武都王・河南国・高麗国・倭国・扶南国・林邑国が遣使して方物を献上したとする。

梁書

梁書』列伝
諸夷伝 倭の条(梁書倭伝)では、倭王の「賛」の死後に弟の「彌」が立ち、その死後には子の済が立ったとする[8]

南史

南史』夷貊伝 倭国の条(南史倭国伝)では、『宋書』列伝の内容が記述されている。

高句麗王・百済王・倭王の将軍号変遷表[9]
(黄色は第二品、緑色は第三品。色の濃さは同品内の序列を表す)
高句麗 百済
317年 <東晋建国>
372年 鎮東将軍(余句
386年 鎮東将軍(余暉
413年 征東将軍(高璉
416年 征東大将軍(高璉) 鎮東将軍(余映
420年 <建国>
鎮東大将軍(余映)
421年 (安東将軍?(倭讃))
438年 安東将軍(倭珍)
443年 安東将軍(倭済
451年 安東大将軍(倭済)
(安東将軍?)
457年 鎮東大将軍(余慶
462年 安東将軍(倭興
463年 車騎大将軍(高璉)
478年 安東大将軍(倭武
479年 <南斉建国>
鎮東大将軍(倭武)
480年 驃騎大将軍(高璉) 鎮東大将軍(牟都)
490年 鎮東大将軍(牟大
494年 征東大将軍(高雲
502年 <建国>
車騎大将軍(高雲) 征東大将軍(牟大) 征東将軍(倭武)
(征東大将軍?)

考証

「珍」・「彌」・「禰」について
『宋書』の「珍」は、通説では『梁書』の「彌」と同一人物とされる。これは、「珎(珍の俗字)」と「弥(彌の俗字)」に混同が生じやすいため、『梁書』の方で誤写が生じたものと解される[10][4][8]
一方、「珍」と「彌」とは別人と見て、実際には「倭の六王」とする説もある[10][4]。そのほか武の上表文に「祖禰」と見えることから、武の祖父に「」を想定して、これと珍を同一視する説もある[11][12]。ただし一般には、その「禰」は単に廟の意と解されて、「祖禰」は先祖の意と訳される[6][7][13]
使持節 都督について
珍は遣使で「使持節 都督倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事」を自称しているが、自称であるため、前王の讃の時点では任官されていなかったと見られる[14]。実際に倭がこれらの国々に軍事的影響力を持ったとは疑わしく(慕韓は百済の影響下、新羅・秦韓は高句麗の影響下にあった)、高句麗が要求の必要性を感じていなかった隙を突いた様子が示唆される[14]。宋はこの自称を認めなかった。この後、珍は死なず『宋書』倭国伝の記事から消え去り、済が現れる。
430年記事について
『宋書』文帝紀の元嘉7年(430年)記事では、遣使主体は「倭国王」とのみ記され、名前を明らかとしない。これに関して、新王の遣使ならば冊封を受けるのが通例などとして主体を讃とする説が有力であるが[10][4][6]、主体を珍とする説もある[10]。この年は『古事記』では履中天皇の治世に当たり、讃(仁徳天皇)でも珍(允恭天皇)でもない第三の王となる。
倭隋らの任官について
『宋書』倭国伝では、珍の任官の際に倭隋ら13人も将軍号の任官を受けたと見える。この倭隋の詳細は明らかでないが、倭王と共通する「倭」姓であるため、ヤマト王権内では王族将軍が支持基盤であったことが示唆される[10][4]。ただし平西将軍は安東将軍と同じ第三品で、品内でも1階しか違わないことから、当時の倭では王と同程度の人物が補佐する統治構造であったとする説[15]、その様子と百舌鳥古墳群古市古墳群の並立との対応をみる説もある[14]。なお、高句麗王・百済王・倭王の場合は「征東・鎮東・安東」など中国の視点の将軍号であるが、倭隋の場合は「平西」という倭の視点の将軍号になる点が注意される[15]
朝鮮への侵攻について
三国史記』では440年444年に倭が新羅に侵攻したと見えるほか、『日本書紀』の修正紀年でも442年に倭が新羅を討ったとするため、実際に440年代初頭に倭(珍か)が軍事行動を起こしたとする説がある[14]
天皇系譜への比定
日本書紀』・『古事記』の天皇系譜への比定としては、珍を反正天皇(第18代)とする説などが挙げられている[16]。この説は、「武 = 雄略天皇」が有力視されることから、武以前の系譜と天皇系譜とを比較することに基づくが、『宋書』では珍と済を別人と考える限りは関係が不明で一意に定まらないため、定説はない[17][11]。反正天皇説では、和風諡号の「瑞」と「珍」の意通が指摘される[17]。他には仁徳天皇(第16代)とする説(前田直典)もあり『古事記』分注では済とともに允恭天皇(第19代)の年代になる。允恭天皇の場合『日本書紀』即位前紀冒頭に出てくる大草香皇子(異母弟で日向髪長媛の子)が倭隋の候補になる。
なお、記紀の伝える天皇の和風諡号として反正天皇までは「○○ワケ」であるのに対し、允恭天皇・安康天皇・雄略天皇に「ワケ」は付かないことなどから、允恭天皇以後の王統(済以後の王統)の変質を指摘する説がある[18]
墓の比定
倭の五王の活動時期において、大王墓は百舌鳥古墳群・古市古墳群(大阪府堺市羽曳野市藤井寺市)で営造されているため、珍の墓もそのいずれかの古墳と推測される[19]。これらの古墳は現在では宮内庁により陵墓に治定されているため、考古資料に乏しく年代を詳らかにしないが、一説に珍の墓は大仙陵古墳(現在の仁徳天皇陵)に比定される[11]

  1. ^ a b c 倭王珍(日本人名大辞典).
  2. ^ 倭王珍(朝日日本歴史人物事典).
  3. ^ 反正天皇(国史).
  4. ^ a b c d e 倭の五王(日本大百科全書).
  5. ^ 倭の五王(世界大百科事典).
  6. ^ a b c d e 『東アジア民族史 1 正史東夷伝(東洋文庫264)』 平凡社、1974年、pp. 309-313。
  7. ^ a b c 『倭国伝 中国正史に描かれた日本(講談社学術文庫2010)』 講談社、2010年、pp. 117-123。
  8. ^ a b 『東アジア民族史 1 正史東夷伝(東洋文庫264)』 平凡社、1974年、pp. 315-319。
  9. ^ 森公章 2010, p. 23.
  10. ^ a b c d e 倭の五王(国史).
  11. ^ a b c 足立倫行 「「倭の五王」をめぐる論点」『ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀(新人物文庫315)』 『歴史読本』編集部編、KADOKAWA、2014年、pp. 48-61。
  12. ^ 上田正昭 『私の日本古代史 上 天皇とは何ものか-縄文から倭の五王まで(新潮選書)』 新潮社、2012年、pp. 226-231。
  13. ^ 森公章 2010, pp. 1–6.
  14. ^ a b c d 河内春人 2018, pp. 73–119.
  15. ^ a b 森公章 2010, pp. 47–50.
  16. ^ 珍(古代氏族) 2010.
  17. ^ a b 森公章 2010, pp. 25–46.
  18. ^ 森公章 「稲荷山鉄剣銘の衝撃 金石文・中国史書と記紀からみた四・五世紀」『発見・検証 日本の古代II 騎馬文化と古代のイノベーション』 KADOKAWA、2016年、pp. 70-84。
  19. ^ 「ワ」の物語(百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議「百舌鳥・古市古墳群」)


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