王座戦 (将棋)
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エピソード
- 将棋と囲碁の王座戦が1957年(昭和32年)に創設される際、日本将棋連盟理事として日本経済新聞社と折衝した丸田祐三によると、どのような棋戦にするかという構想は加藤治郎によるもので、「王座戦」の名称は花村元司が考案した[21]。
- 第21回(1973年)では、62歳の大野源一が挑戦権を獲得。中原誠との三番勝負は0勝2敗に終わるも、60歳代での番勝負への勝ち上がりは快挙だった。
- 大山康晴は優勝棋戦時代(第1回 - 第17回)に7回、前年優勝者と挑戦者による三番勝負時代(第18回 - 第30回)で2回王座になっている。名誉王座の資格には該当しなかったものの、第29回(1981年)では58歳で勝浦修との三番勝負に勝利しており、同年度に王将位の防衛で史上最高齢のタイトル保持者となっていたのと同様、当棋戦でも第一人者としての実力を示していた。
- 羽生が福崎文吾から王座位を奪取して以降19期タイトルを保持し続けていたため、福崎は長年“名目上の前王座”ということになっていたが、こちらも19期連続という珍記録であったため、福崎自身も「名誉前王座」などと笑い話として披露していた[22]。2011年9月に羽生が失冠したため福崎も「前王座」ではなくなったが、以後も話のネタとして使われることがある。
- 羽生は2011年に20連覇を逸したものの、翌2012年に挑戦者として奪還に成功し、その後2017年に再び失冠して翌2018年(第66期)に本戦1回戦で敗れるまで同一タイトル戦連続出場記録26期(1992年 - 2017年)を数えた。それまでの最長記録は大山康晴が名人戦と王将戦で持つ21期であった。また、羽生の通算24期在位は、一つのタイトル獲得期数としては史上最多となっている。
- 第34期二次予選において、係の手違いで決勝トーナメント出場者が1名少なくなることが判明。二次予選決勝敗者から抽選で追加のトーナメント進出者が決められることになり、脇謙二が追加出場者となった。
- 第67期(2019年度)において、挑戦者決定トーナメントへのシードが史上初めて半数を超え10名となったため、予選からの挑戦者決定トーナメントへの出場枠が6名と過去最少になった。これは第66期挑戦者決定トーナメントベスト4にタイトル保持者は渡辺明棋王しか残れず、かつ第89期棋聖戦の結果複数冠者がいなくなったことで、タイトル保持者シードが6名(羽生善治竜王、佐藤天彦名人、高見泰地叡王、菅井竜也王位、久保利明王将、豊島将之棋聖)となったことによる。
- 第71期(2023年度)、藤井聡太が永瀬拓矢から王座を奪取し史上初の八冠独占を達成した[23]。
- タイトル戦に昇格してから、第69期(2021年度)までの時点において王座を防衛(2期以上連続で獲得)した棋士は中原誠・羽生善治・永瀬拓矢の3名のみであり、一般棋戦時代に王座戦連覇を経験した大山康晴を含めても、王座戦の連覇者は4名しかいない。第4回(1956年度)優勝者の小堀清一は、翌第5回も決勝まで進出するも、松田茂行との三番勝負を1勝2敗で連覇を逃し、大内延介は第25回(1977年度)から3回連続で挑戦権を獲得するも、3回とも中原に0勝2敗で退けられている。
- 第71期(2023年度)現在、一次予選からの挑戦者は一度も現れていない。挑戦者決定トーナメントベスト4進出まででも第65期までは通算5名(各期1人ずつ)しか出ておらず、うち4名は決定戦まで進出するも破れて挑戦とはならなかった。ところが第66期(2018年度)に一次予選から出場した永瀬拓矢と藤井聡太の2名がベスト4に進出したことで、タイトル戦移行後では初めて一次予選からの挑戦者決定トーナメントベスト4進出者が複数名出る珍事が発生した。しかしいずれも準決勝で敗れている。
- 王座戦五番勝負で、これまで持将棋が出たことは一度もない。
注釈
- ^ 2021年現在、王座戦中継サイトのトップでは主催は日本経済新聞社と将棋連盟が併記されており、日本将棋連盟のサイトでも「日本将棋連盟主催棋戦一覧」のページに王座戦を載せている。
- ^ 第56期より6名。第55期以前の一次予選通過枠は5名であった。
- ^ 順位戦C級2組からの降級・棋士編入試験の合格・奨励会三段リーグで次点(リーグ3位)2回獲得によりフリークラスに編入した棋士が対象となる。60歳以上で順位戦C級2組から降級した棋士を含む。ただし「フリークラス宣言」による転出者については含まれない。
- ^ 他棋戦においても同様の規定があるが、2022年時点での適用例は竜王戦のみとなっている。
- ^ 出場する女流棋士はタイトル保持者で、第39期には清水市代女流名人、林葉直子女流王将、中井広恵女流王位の3人が出場。それまで将棋界は男女別棋戦が原則で、それまでの女流参加の一般棋戦は新人王戦(1981年から女流参加)だけであり、王座戦は女流棋士が参加する2つ目の棋戦となった。
- ^ 女流棋士の出場枠4名は、朝日杯将棋オープン戦の6名に次いで多い。
- ^ 2006年の対局後、先崎学は「4局とも熱戦で、序中盤の実力は男性棋士に遜色ない」[15]とコメントしており、2007年には藤井猛が「持ち時間5時間の棋戦は女流にはなく、経験の差が出た」[16]と分析している。
- ^ 第2回第3局は、升田が病気のため不戦局。
- ^ 1996年9月に名誉王座が制定された。制定前の規定達成。
- ^ 番勝負第1局時点。挑戦決定時は 19歳104日。
- ^ トーナメント1回戦時点。二次予選決勝時は 15歳246日。
- ^ 在位は 47歳14日まで。
- ^ 番勝負第1局時点。挑戦決定時は 49歳118日。番勝負最終局時点では 49歳169日。
- ^ トーナメント1回戦時点。2回戦(敗退)時点では 67歳86日。二次予選決勝時は 66歳309日。
出典
- ^ “王座戦、進取の「気風」で70年 : Our History | 日本経済新聞社”. 2021年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月11日閲覧。
- ^ 加藤治郎『昭和のコマおと』(旺文社文庫)P.180
- ^ 『将棋八大棋戦秘話』(河出書房新社)P.170
- ^ 第69期は木村一基九段が前王位保持者として、第70期は豊島将之 九段が前竜王位保持者としてシードされている
- ^ “第67期王座戦一次予選”. www.shogi.or.jp. 2018年8月28日閲覧。
- ^ “女流棋士・奨励会員・アマチュアにおける 棋戦優秀者への対応について|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2021年2月7日閲覧。
- ^ “フリークラス棋士の引退について|将棋ニュース|日本将棋連盟” (2010年7月14日). 2010年7月14日閲覧。
- ^ 本日のスケジュール(第71期王座戦五番勝負第1局) - 王座戦中継Blog (2023年8月31日)
- ^ 王座戦中継Blog: ご観戦ありがとうございました(第63期王座戦五番勝負第1局 )
- ^ おはようございます(第64期王座戦五番勝負第1局) - 王座戦中継Blog・2016年9月6日
- ^ おはようございます - 王座戦中継Blog(2019年9月2日)
- ^ 動画配信サイト「Paravi(パラビ)」で 第67期王座戦五番勝負をライブ配信 - 日本将棋連盟・2019年8月30日
- ^ 「王座戦」の仕組みや特長について
- ^ “「王座戦に女流棋士も参加」(1990年6月14日/日本経済新聞 朝刊)NIKKEI NET 将棋王国”. 2008年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月4日閲覧。
- ^ “先崎八段「女流トップ棋士のすごさを実感」(2006年7月29日)”. 2008年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月30日閲覧。
- ^ “<藤井九段の目>「5時間の棋戦経験の差でしょう」(2007年7月28日)”. 2008年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月30日閲覧。
- ^ “女流棋士・奨励会員・アマチュアにおける 棋戦優秀者への対応について|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2021年2月7日閲覧。
- ^ a b "中原 誠 永世十段・名誉王座"誕生へ(2007年8月29日、日本将棋連盟)
- ^ 田辺忠幸編 『将棋八大棋戦秘話』 河出書房新社、2006年、ISBN 4-309-26870-6、169頁
- ^ a b c d 第1回-第17回は決勝戦進出、第18回-第31回は決勝三番勝負。
- ^ “追悼・丸田祐三九段 王座戦半世紀共に歩む”. 日本経済新聞社 (2002年9月13日). 2017年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月26日閲覧。
- ^ 名誉前王座 - 将棋ペンクラブログ・2011年4月14日
- ^ “藤井聡太八冠が誕生、史上初の独占 将棋王座戦を制す”. 日本経済新聞 (2023年10月11日). 2023年10月11日閲覧。
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