檜扇 近世の檜扇

檜扇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 08:45 UTC 版)

近世の檜扇

成人男子

白木扇

通常は25橋からなり、檜柾目材によって作られる。綴じ糸は白を1本使用。五位以上は親骨にかざりをつける。これは元来白い綴じ糸の余りを花などのかたちにして貼ったものともいうが、近世では白平絹(羽二重なども可)に白糸で家紋の形を縫った。綴じ糸による「一筆がき」風にはできないが、糸による線で紋を描くため、極力糸を生地にくぐらせないで留めていく「置紋」の方法を使う。なお若い人はこの家紋の周辺に唐草を貼り付け、長飾りと称した。老人は一切置紋を使用しない。六位以下は紋は貼らない。天皇菊花紋章を置紋にして40歳頃未満は長飾りをつける。以後は菊のみ。こうしたしきたりの根幹は鎌倉時代後期には成立していた。鎌倉時代にはさらに略式の23橋の扇もあった。古い遺品は京都大学に儀式次第を墨書した中世のものが残る。

近代は天皇は年齢にかかわらず長飾りつきの菊の置紋、皇族は菊のみ、即位での臣下のうち、奏任官高等官以上は五七桐、伊勢神宮では飛鶴が用いられた。年齢による差はない。

要は原則として紙縒りによる元結留。四つ目に結ぶ。現在では鋲留めが多いが、近世では僧侶の扇などに例がある。

なお特例として近世の天皇の神事用の扇がある。白木25橋で白蜷飾りがつき、銀の蝶鳥金具を要につける。置紋や糸花はない。閉じて蜷飾りを巻いて懐中する(旧儀御服記ほか)。また僧侶の檜扇は宗派により形式の違うものが使用された。白木で総角(揚巻)結びの飾りのついたもの、鋲を要に使うものなどが多い。

蘇芳扇

檜柾目材。通常25橋。天皇や大臣などの高官に例がある。綴じ糸は白は普通。元結留も白。白い置紋を貼る(老人は貼らない)。基本的には白木扇同様であるが、檜を蘇芳という染料で深紅に染める。これも中世には用いられた。また紫扇や赤色=蘇芳扇は即位のとき礼服に懐中して用いられたようである。現在は天皇が御引直衣に使用するだけである。置紋は菊の長飾り。このほか老人が香染(丁子による茶色)の扇を使用するなどの特例が中世にあり、その一部は近世にも復古的に行われたかと思われる。

幼年男子

横目扇

杉板目(横目)材。23橋 - 25橋。近世の山科流では25橋で、の糸柾(木目の濃い柾目)がさかんに使用された。また親骨のみ板目であとは柾目の例もあるが、これらは畢竟板目が割れやすいからである。板目は木目の美しさを楽しむ点で装飾的であり、檜より黒味のつよい杉が好まれた理由もここにある。したがって横目扇は女子の扇のように白い下地を塗ることはない。

横目扇はまた泥絵扇ともいうように彩色画をともなった。近世の山科流は極彩色で縁取りした金の源氏雲を描き(金は泥絵具・箔ともに例がある。山科流の女子用は雲に金銀を用いるが、横目扇は金一色)、飛鶴2羽と大松を描き、松の根元の丘には笹を描き、左に群青色の水を配し、水には銀泥で観世水(波)を描き、なかに緑色の亀を描く。これは定番で、山科流では松のおおよその枝ぶり、の向きまで固定していた。高倉流は自由度が高く、松に椿、松や梅や鶴などの祝いの図柄を適宜按配する。また両流の拘束によらないかと思われる中間形式の違例も多い。裏面はやはり源氏雲を描き、5色程度の線描で蝶鳥を密に描く。

要の金具は表に蝶、裏に鳥を配することが多いが、一方が梅の例も多く、これらの全てが後補と断定できない以上、こうした例もあったかもしれない。金銅金具である。要を木釘で固定した後、鋲で要に刺してあることが多く、比較的簡単に抜けてしまうこともある。綴じ糸は紅と黄の2色の糸で綴じる。

蜷飾りは、山科流は紅・緑・黄・紫・白・薄紅の6色。蜷結びを二段作り、一段目と二段目の間でとなりあう紐同士をひっかけてばらつかないようにする。これらの紐は6本を並べて先を下に折って、綴じ糸で強く巻き、結んで固定する。金具などでとめるのは正しくない。山科流以外では薄紅を除く5色ということもあり、5色もしくは6色を各2本使うものも多く、その中には高倉家の特色を強く示すものもあるので、高倉流では二本ずつという方法もあったかもしれない。まれに蜷結びの間に総角結びを作るものもみかけるほか、蜷結びにはせずに梅花形の花結びを作るだけのものもある。このほかにもいろいろなバリエーションがあり、山科流の固定性とは対照的である。山科流横目扇の仕様は『篋底秘記』にくわしく、山科流の典型的な遺品は御物として伝存する。

糸花は、山科流では梅と松。梅は紅白薄紅の三色で、花とつぼみそれぞれの数にも決まりがあるという徹底振りであった。糸花はよりのない生糸製。松は生絹を二つ折りの両端を見せたボンボン。梅は二つ折りの輪のほうを使い、梅のがくの部分以外一切絹の織地は用いない。梅には黄色いしべがあった。黄紙を細く切って作るようである。枝は針金で、よりのない生糸を巻いて表面を隠す。枝の下端は輪になっており、これを赤い絹のより糸で、蜷飾りの上端の下に向けて折って綴じ糸でしばられたところでできる輪状の部分の中に通す。赤い糸は少し余裕を持たせ、糸花がぶらぶら揺れるのが良いとされた。高倉流では、宮中に納める場合など、普通は松と橘のみだが(旧儀御服記)、徳川家祥(のちの家定)におさめたものは女子用のように松梅橘の三種とした(有職文化研究所蔵調進控)。糸花は松梅橘のほかはあまりみかけない。

横目扇は院政期の文献には見られる。糸花は、横目扇でなく白地の扇ながら幼い皇太子の檜扇に松の飾りがあるという承久2年(1220年)の記録(玉蘂)があり、鎌倉時代中期頃より文献で蜷飾りが確認できる(装束式目抄)。中世には横目扇の基本的要素は出揃う。絵も山科流のような極端な固定は近世以後だが、古くから祝い物が用いられたから、松や鶴は古い。また松と椿は後嵯峨天皇即位にまつわる伝承から祝いのものとされ、躬仁親王(称光天皇元服(國學院所蔵高倉家文書)や足利義持元服の記録に見られ、近世も徳川家祥元服ほかしばしば使用された例がある(有職文化研究所蔵調進控見本)。古い遺品は京都大学に壬生家伝来の鎌倉時代前期のものがある。木目を波に見立て、小さな松の小島を描いて緑青を塗り、上空に鶴が群れ飛ぶという図で、源氏雲はない。裏は群青と緑青で蝶鳥を描く。こちらも無論源氏雲はない。

近世の横目扇は天皇・親王・公家の子息のほか、小舎人など童形の召具(従者)も使用した(近世の賀茂祭勅使の装束資料などからしられる)。公家の元服に必須であったから遺品も多く、時に粗製品をみかけるのは召具所用品なのかもしれない。また浄土真宗系の寺院では公家の娘を内室に持つ寺主の子息が使用したこともあった。骨董オークションでも近世の横目扇らしいものはよく売りに出る。また冷泉家の遺品は写真でいろいろな本に掲載される。もちろん御物にもいくつかの遺品がある。

なお、皇太子が用いてならない道理はないはずだが、実際には皇太子は多く後述の赤色扇もしくは胡粉地扇を使用した。

赤色扇

天皇と皇太子が使用する。蘇芳染め檜25橋。金泥で表に松鶴を描き、裏に蝶鳥を描く。蜷飾りは蘇芳もしくは紫1色、6色などの例がある。糸花は松のみ。金具は金銅の蝶鳥。近世の遺品は御物として伝存する(御服御目録)。

近代では裕仁親王(昭和天皇)立太子に際し、蜷飾り6色の赤色扇が調進されたが、戦後の明仁親王(明仁上皇)立太子以後は例がないらしい。

胡粉地扇

皇太子の所用。胡粉(白色顔料)塗り25橋。絵は横目扇の表と同じ源氏雲と松鶴水亀笹の絵を極彩色で描く。なお裏面も同じ絵を描いたとされ、蝶鳥ではなかったらしい。蜷飾りは6色。糸花は松。金具は金銅の蝶鳥。近世の遺品は御物として伝存する(御服御目録)。

承久年間に東宮(のちの仲恭天皇)が着袴に際して使用したという。近世のものはその記録による再興である。古い遺品は見当たらないが、厳島神社の小型檜扇は胡粉地のうえ表裏ともほぼ同じ絵であるなど記録によくかなうことが注目され、これと同様の品だった可能性が高い。なお、近年は女子皇族も横目扇を使用するようであるが、和宮は着袴の儀に38橋の扇を使用しており、おそらく横目扇ではなかったであろう。また行幸に男装で供奉する「あづまわらは」も幕末の例では胡粉地の28橋の扇を用いているので、近世には女子は横目扇を用いないことが多かったのではないかと思う。

女子

大翳(おおかざし)

桧材38橋もしくは39橋。胡粉塗りで雲母を引いた地に金銀二色の源氏雲と極彩色の絵を描く。

橋数は、皇族など高貴な女性は39橋で、女官は38橋が普通である。江戸時代には重儀に際して女官が手に開き持って顔を隠したのでこの名がある。近代以後は開かずに蜷飾で巻いて用いるが、これは元来横目扇の扱い方であった(新近問答)。

図柄は女帝(後桜町天皇など)は桐鳳凰で(旧儀御服記)、皇后も使用例がある(東福門院所用品―霊鑑寺蔵・英照皇太后所用品―御物)。山科流では一般に紅梅と竹を右に寄せて描き、左側に流水を配する図柄が多い(篋底秘記)。この図柄は皇后所用品にも例がある(英照皇太后所用品―御物)。山科流以外では様々な花の折枝(水戸斉昭夫人有栖川宮吉子女王所用品―徳川博物館蔵)や松に鶴(毛利家伝来品・有栖川織仁親王女貞操院所用品)などがある。

綴じ糸は通常紅白二色で、蜷飾の糸を綴じ糸でしばる。その詳細は横目扇の規定に同じで、六色各1本が多いが、同色各2本の遺品もしばしばみられる。

糸花は、山科流は松と梅で、横目扇に等しく、高倉流では松梅橘の三種とする。

要も金銅の蝶鳥とすることは横目扇に等しい。


  1. ^ 『井筒笥』浅田茂樹平成26年7月1日発行杉浦一蛙堂印刷全224頁88頁
  2. ^ 『神祭具便覧40巻』民俗工芸平成28年9月発行全438頁80頁


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