東日流外三郡誌 経緯

東日流外三郡誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 20:42 UTC 版)

経緯

和田がこの文書群を青森県北津軽郡市浦村に提供し、市浦村は1975年(昭和50年)から1977年(昭和52年)にかけて、『市浦村史 資料編』(上中下の三部作)として刊行した。だが後にその内容をめぐって論争が相次ぎ、大反響を呼んだ。

和田による古文書の「発見」は、1949年(昭和24年)頃から始まっている。ただし、初期の古文書は地中から掘り出したとされていた(当時、和田家邸宅は藁葺屋根で、まだ天井裏がなかった)。1983年(昭和58年)に北方新社版『東日流外三郡誌』の刊行が始まった際、“東日流外三郡誌”はそれまでに和田が発見した古文書の総称とされ、かつては地中から掘り出したとされていた文書もその中に加えられた[4]。その後の構想の拡大で、明確に「東日流外三郡誌」以外の題を冠した古文書(実際には偽書)も和田喜八郎の手元から続々と出てくるようになった。『東日流六郡誌絵巻』『東日流六郡誌大要』『東日流内三郡誌』『北鑑』『北斗抄』『丑寅日本記』『奥州風土記』などである。ちなみに『東日流外三郡誌』と題さないそれらの文書も上記の内容を共有している。そのため、和田の手元から出た古文書には『東日流外三郡誌』と題する題さないを問わず、共通の用語や重複した説話が多々見られる。 結局、和田は1999年平成11年)に世を去るまで約50年にわたってほぼ倦むことなく(本人の主張では天井裏にあった箱から)古文書を「発見」し続けた。

和田喜八郎の没後、遺品として遺された文献は段ボール箱で20個分ほど、その大部分は刊本であり、肉筆によるものは巻物が25点、冊子本が46点だった(ただし、この冊子には実際に江戸時代に書かれた写本小説も含まれている)[5]

しかし、その中には喜八郎の生前に活字化された内容と同じ『東日流外三郡誌』の底本は含まれていない(和田は論文盗用をめぐる裁判において『東日流外三郡誌』の底本は紛失したと主張した)。喜八郎が生前に個人や自治体に事実上売却した「古文書」も多数あったため、それらをも含めた総数はつかみにくいのが現状である[要出典]


注釈

  1. ^ 元偽書派、古田史学の会代表就任後、古田武彦の反論と多元王朝説を支持する内容があることから擁護派の論客となる。
    わたしはご承知のように和田家文書に関してはその信憑性に関して疑問を呈していますが、だからといって古田離れをするつもりはありません。 — 水野孝夫、水野孝夫「「古田史学の会」発足にあたって」『古田史学会報』No.1、古田史学の会、1994年6月30日。 
    平成十九年は古田武彦氏の学問にとって画期的なテーマが次々に登場しました。青森県に伝わる『東日流外三郡誌』をはじめとする「和田家文書」の「寛政原本」(寛政時代に書かれたもの)と思われるものが次々に発見されたこと、『三国志』に記載された「裸国黒歯国」にあたると思われるエクアドル訪問により、九州と共通する甕棺黒曜石を認識し現地の人々と交流を持ったこと、などです。 — 水野孝夫、水野孝夫「会員論集・第十一集発刊に当たって」『古田史学論集 第十一集 古代に真実を求めて』No.11、明石書店、2007年3月31日、3-10頁。 

出典

  1. ^ (安本 1994, p. 5 地図『東日流外三郡誌』の舞台)
  2. ^ (安本 1994, p. 22)
  3. ^ (安本 1994, p. 29-31)
  4. ^ 藤本光幸「『東日流外三郡誌』発刊にあたって」北方新社版『東日流外三郡誌』第1巻・1983年
  5. ^ 竹田侑子「和田家文書報告(1)」『北奥文化』第23号、2002年11月
  6. ^ a b (久保田 1995, pp. 168 f)
  7. ^ 「秋田孝季」とは何者なのか?
  8. ^ 東奥日報2003年(平成15年)2月25日付夕刊1面。(斉藤 2006, p. 311)
  9. ^ 『十三湊遺跡発掘調査報告書』第1分冊pp.63 第Ⅱ章 遺跡の環境 第4節 文献史料から見た十三湊と安藤氏 (2)十三湊関係の文献史料
  10. ^ (古田 & 竹田 2008)
  11. ^ 原田実「寛政? 歓声? 完成? いえ、単なる陥穽」『と学会年鑑AQUA』楽工社、2008年3月、pp. 133-140頁。ISBN 978-4-903063-19-5http://www.rakkousha.co.jp/books/isbn19-5-togakkainenkanakua.html 
  12. ^ 西村 俊一 - 研究者 - researchmap”. researchmap (2008年11月27日). 2014年11月8日閲覧。
  13. ^ (内田 2004)、(内田 2011)
  14. ^ (高橋 1997)、(高橋 2006)





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