文殊 (列車)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:54 UTC 版)
大阪対天橋立優等列車概略
みやづ
1988年7月16日に宮福鉄道宮福線(現在の京都丹後鉄道宮福線)が開業し、新大阪駅 - 天橋立駅間で急行列車として運転を開始した。臨時列車ではあるが、毎日運転されていた。また、福知山駅 - 天橋立駅間は快速列車として運転された。車両は、キハ58系が使用された。運転開始とほぼ同時期に阪急バス・丹後海陸交通による高速バス大阪 - 宮津線の運行が開始され、利便性や車内設備、運賃料金などの面で高速バスの後塵を拝していたこともあり、利用客は海水浴シーズンやカニシーズンの週末、旧盆や年末年始、ゴールデンウィークといった繁忙期以外は少ない状態であった。
1996年に宮福線が電化されることにより、電車での運転が可能になったため、「文殊」に置き換えられ廃止された。
エーデル丹後
「みやづ」と同じく宮福線の開業により運転を開始した特急列車である。週末のみ運転される臨時列車だった。キハ65形気動車が使用されたため、電車と気動車の併結運転方式が採用された。これは「ゆぅトピア和倉」で前例があったので可能となった。福知山線内では「北近畿」の最後部に付随車として連結されていた。
「エーデル丹後」は全車普通車であったが、団体列車として運用できる車内設備を有しており、行楽客からは人気があった。特に、展望席の特急券は入手が困難であった。
1996年に KTR が開発したKTR8000形の運用開始にあわせて、「エーデル丹後」は「タンゴディスカバリー」に置き換えられ、廃止された。
大阪対天橋立優等列車沿革
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- 1988年(昭和63年)7月16日:宮福線開業に伴い、新大阪駅 - 天橋立駅間(福知山線・宮福線・宮津線経由)で急行「みやづ」と特急「エーデル丹後」が運転開始。
- 1996年(平成8年)3月16日:KTR宮福線の電化により次のように変更。
- 「みやづ」「エーデル丹後」が廃止。
- 特急「文殊」が1.5往復運転開始。
- 1999年(平成11年)10月2日:舞鶴線電化開業による運転系統見直しにより、「文殊」の新大阪行1本が廃止。
- 2005年(平成17年)4月25日 - 6月18日:JR福知山線脱線事故の影響により、新大阪駅 - 福知山駅間で運休。
- 2007年(平成19年)3月18日:全車禁煙化される。
- 2011年(平成23年)3月11日:ダイヤ改正により「文殊」廃止[1]。以降、定期運用での大阪 - 天橋立間の直通特急は消滅。(福知山駅で城崎温泉方面行きの「こうのとり」と、京都発着「はしだて」もしくは福知山発着「たんごリレー」との連絡を伴う形に。)また、多客時の臨時運転が行われる場合も、「こうのとり」として運行。
脚注
- ^ a b 平成23年春のダイヤ改正について (PDF) (インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年12月17日
- ^ 平成13年度【 冬 】の臨時列車の運転について(別紙詳細)(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2001年10月16日
- ^ 「かにカニ日帰りエクスプレス」発売(別紙詳細)(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年9月18日
- ^ 平成9年《冬》の臨時列車の運転について(別紙詳細)(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年10月17日
- ^ 平成10年度【 冬 】の臨時列車の運転について(別紙詳細)(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1998年10月16日
- 1 文殊 (列車)とは
- 2 文殊 (列車)の概要
- 3 大阪対天橋立優等列車概略
- 4 参考文献
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