広島本通商店街
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 23:40 UTC 版)
地理
東西577mの商店街であり、商店街の西の原爆ドームや広島平和記念公園も程近い。東端は広島金座街商店街と並木通りに接続している。本通商店街の北側の通りである中の棚商店街や南側の通りである袋町裏通り、紙屋町付近や地下街の紙屋町シャレオ、八丁堀付近と一体となり今日では中四国一の繁華街として多くの人々で賑わっている。
現在、「本通商店街」を構成する住居表示は「本通」(郵便番号730-0035)のほか「紙屋町二丁目」や「大手町一丁目」がある。本通の行政区域の郵便番号は730-0035、人口は171人[2]。商店街のホームページでは、便宜上「本通」を「本通一丁目」から「本通三丁目」、「紙屋町二丁目」を「本通四丁目」、「大手町一丁目」を「本通五丁目」と案内しているものも見られる。
鯉城通り(国道54号)の本通横断歩道に面する革屋町ビルには街頭大型ビジョン「NAVIA」も設置されている。現在の道路は広島市道であり、路面には「西国街道」、「革屋町」、「平田屋町」などかつての町名を記した9個の石碑が埋め込まれている。
歴史
かつての西国街道(近世山陽道)の一部である。原爆により一旦は壊滅状態となったが復興し、1954年(昭和29年)にはアーケードを設置し、1992年(平成4年)にアーケードの架け替えを行った。商店街の西の原爆ドームや広島平和記念公園も程近く、原爆で壊滅するまでは中島町(中島本通商店街)まで商店街が続いていた。
先代の本通のテーマソングは無名時代の由紀さおりが歌唱[3]。
町名の変遷
1965年の町名再編前は、「革屋町」・「鉄砲屋町」・「研屋町」・「西魚屋町」・「播磨屋町」・「東魚屋町」・「平田屋町」・「細工町」・「猿楽町」・「横町」などの町名だった。
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江戸時代の広島城絵図。南側外堀から2本目の道であり、他より太い赤線が引かれている。
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被爆後の東を望む。写真中央の建物が当時のランドマーク「下村時計店」で、写真上部の建物が「キリンビアホール」つまり現在の広島パルコにあたる。
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スタンディッシュ・バッカス作の水彩画『広島、1945年』。手前を横断する道が本通り。
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被爆後の京橋町付近から西を望む。写真上部の中洲が中島町であり、そこから斜め右下にかかる橋が元安橋、橋から下へ伸びる道が本通りになる。
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1950年代のアーケード
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広島東洋カープ優勝時のアーケード照明(2016年)。カープにちなみ赤色。
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カープ応援セール(2007年)
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2013年ひろしまドリミネーション
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サンフレッチェ広島優勝時のアーケード装飾(2012年)
交通
バス
路面電車
広島電鉄の以下の路線・電停が利用できる。
新交通システム
道路
国道54号線と本通交差点で交差する。
固有名詞の分類
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