孟子 後世の評価

孟子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 18:25 UTC 版)

後世の評価

以下は、中国語版ウィキペディアからの引用。

孟子は儒家の最も主要な代表的人物の一人である。しかし、中国において、孟子の地位は宋代以前にはあまり高くなかった。中唐時代に韓愈が『原道』を著して、孟子を戦国時代の儒家の中で唯一孔子の「道統」を受け継いだという評価を開始し、こうして孟子の「昇格運動」が現れた。以降孟子とその著作の地位は次第に上昇していった。北宋時代、神宗熙寧4年(1071年)、『孟子』の書は初めて科挙の試験科目の中に入れられた。元豊6年(1083年)、孟子は初めて政府から「鄒国公」の地位を追贈され、翌年孔子廟に孔子の脇に並置して祭られることが許された。この後『孟子』は儒家の経典に昇格し、南宋時代の朱熹はまた『孟子』の語義を注釈し、『大学』、『中庸』と並んで「四書」と位置付け、さらにその実際的な地位を「五経」の上に置いた。代の至順元年(1330年)、孟子は加えて「亜聖公」に封じられ、以後「亜聖」と称されるようになり、その地位は孔子に次ぐとされたのである。

孔子(武人の子)や、後代の朱熹・王陽明らと異なり、孟子は武人ではなく、兵学を修めず、軍事指揮経験がなく、著作には六芸など実学的教養への言及がない。「孟母三遷」の伝承は、それが事実なら、孔子が君子の教養として弟子たちに修養を勧めた「六芸」を著しく侮辱するものであり(墓地における礼は六芸の第一、市場における数は六芸の第六だが、孟母はこれを賤業と見下した)、孟子は孔子たちがもっとも嫌悪したであろうステレオタイプの差別主義者・出世主義者の母親によって育てられたことになる。

上述のように、孟子の天命説(革命説)そのものは、孔子の著作にもその萌芽があって、それを発展させて論となしたことは必ずしも孔子の道統を逸脱するものではなかったが、日本の一姓相伝(万世一系)的な国体観と合致しない。そのため、中国の航海者たちの間には、明代の「有携其書(孟子)往者舟即覆溺」(五雑俎)などのように、孟子を積んで日本に向かう船は沈むという伝承があった。

日本においても、孟子の地位は江戸時代以前はあまり高くなく、むしろ忌避されていた。日本の元号は宗教上産業上の瑞祥を除き、基本的に四書五経を出典とするが、四書五経の中の『孟子』に由来する元号はまだ存在しない。

日本では、林羅山徳川家康伊藤仁斎上田秋成佐藤一斎吉田松陰西郷隆盛北一輝らが熱読したことで知られる[6]


  1. ^ 孟繁驥 (1971年5月1日). “〈孟子其人及其著述〉” (中国語). 《文藝復興》 (中華民國: 中國文化學院) (第17期): 第11頁-第13頁. https://www.google.com.tw/books/edition/%E6%96%87%E8%97%9D%E5%BE%A9%E8%88%88/6vojAAAAMAAJ?hl=zh-TW&gbpv=1&bsq=%E3%80%8C%E4%B8%89%E9%81%B7%E5%BF%97%E3%80%8D%E5%8F%8A%E3%80%8C%E5%AD%9F%E5%AD%90%E4%B8%96%E5%AE%B6%E8%AD%9C%E3%80%8D%E8%BC%89&dq=%E3%80%8C%E4%B8%89%E9%81%B7%E5%BF%97%E3%80%8D%E5%8F%8A%E3%80%8C%E5%AD%9F%E5%AD%90%E4%B8%96%E5%AE%B6%E8%AD%9C%E3%80%8D%E8%BC%89&printsec=frontcover. "關於孟子生卒年月,各家之說紛紛不一,清閻若璩有孟子生卒年月考亦未有定論。「三遷志」及「孟子世家譜」載,孟子於周烈王四年四月二日生(紀元前三七二年),周赧王二十六年正月十五日卒(紀元前二八九年)。孟子出生到現在已經是二千三百四十二年,較孔子晚了一百七十九年(孔子生於紀元前五五一年)。根據這一時間來覆按,孟子遊梁、遊齊,及其他事跡言論甚多符合,總之有關孟子最原始之傳記史料,厥爲史記「孟子荀卿列傳」,而又語焉不詳,以致諸家考證紛紜迄無定論。" 
  2. ^ a b 『孟子「離婁篇」』
  3. ^ 『孟子「公孫丑篇」』による
  4. ^ 『孟子「公孫丑篇」』
  5. ^ a b 『孟子「告子篇」』
  6. ^ 孟子松岡正剛の千夜千冊、1567夜、2014年12月25日
  7. ^ 現代中国語では、「孟子」は「モンズー Mèngzǐ」、『毛詩』は「マオシー Máoshī」と発音するため、混同はない。
  8. ^ 趙岐『孟子題辭』「是ニ於テ退キテ高弟弟子公孫丑・萬章ノ徒ト、疑ヲ難キ問ニ答ヘシ所ヲ論集シ、又自ラ其ノ法度ノ言ヲ撰ビ、書七篇二百六十一章・三萬四千六百八十五字ヲ著ハス。」
  9. ^ 小林勝人『孟子』 下、岩波文庫、1972年。 に引く武内義雄「孟子について」pp.454-457。






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