国鉄1215形蒸気機関車
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北海炭礦鉄道
1923年製が1両(製造番号 10475)導入され、205として使用された。この機関車は、シリンダの行程が450mmに変わった以外は、八幡製鉄所のものと同形である。この機関車は、最初は本線用、後年は炭鉱構内の入換用となった。北海炭礦鉄道は1924年に雄別炭礦鉄道、さらに1959年(昭和34年)には雄別鉄道に変わり、さらに1970年(昭和45年)には釧路開発埠頭へ譲渡されたものの、同年に廃止となった。この機関車は入札にかけられ、埼玉県川越市内の角栄幼稚園に引き取られたが、1985年(昭和60年)ごろに解体された。
鶴見臨港鉄道
鶴見臨港鉄道には1924年製の2両(製造番号 10588, 10658)が導入され、302, 301と付番された。同鉄道は、1944年に戦時買収され、鉄道省鶴見線となった。その際、この2両は番号順に1190形 (1190, 1191) となったが、1949年に2両とも廃車となった。そのうち、1190は1950年(昭和25年)に川崎の三井埠頭へ譲渡されて同社の3となり、1968年(昭和43年)10月まで使用された。1191は、東濃鉄道への譲渡が内定したが、同鉄道の電化によりキャンセルされた。
この機関車の運転整備重量は30.2tで、鶴見臨港鉄道時代に石炭庫を運転台背面に移設して、若干形態が変わっている。三井埠頭での用途廃止後は、山梨県南都留郡鳴沢村の河口湖自動車博物館内で保存されている。
明治製糖
1924年製の製造番号 10600で、同社の専用線で2として使用された。その後、専用線は地方鉄道の十勝鉄道に改組され、当機もそのまま籍を移した。1965年(昭和40年)廃車。当機の運転整備重量は30.5tである。
小湊鉄道
1924年製の製造番号 10778で、小湊鉄道では4と称した。1938年(昭和13年)に一旦廃車となったが、そのまま保管され、太平洋戦争中に車籍復活した。その後、1951年(昭和26年)にふたたび廃車となり、スクラップとして磐城セメントを経由して川崎製鉄千葉工場に移り、同社のNUS8[注 1]として使用された。その際、前部のオーバーハングを長くし、炭庫を運転台背面に移され、サイドタンク拡張を受けている[1]。運転整備重量は31tであった。小湊鉄道では2015年からディーゼル機関車DB4として本機のレプリカを「里山トロッコ」の牽引用に運行している[注 2]。
注釈
出典
- ^ a b 講談社 高井薫平『小型蒸気機関車全記録』東日本編 p.145
- ^ 「3月18日に定期運行再開 車両故障のトロッコ列車 小湊鉄道」『千葉日報』千葉日報社、2016年2月4日。2020年12月1日閲覧。「車輪をつなぐサイドロッドの一部に破損が見つかった。サイドロッドは飾りのため、今後は取り外して走らせることを決め、」
固有名詞の分類
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