古代ローマの公衆浴場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 01:00 UTC 版)
目的
公衆浴場には、上述した3つの主な浴室の他に、パライストラや屋外運動のできるギムナシウムが併設されていることが多い。他にも重量上げの部屋や談話室があった。男性は自分でオイルを塗り(石鹸はまだ極めて高価であり、広く使われてはいなかった)、シャワーを浴び[要出典]、肌かき器で余分なオイルや汚れを落とした(例えば、バチカン美術館にあるリュシッポスのアポクシュオメノス像がある)。裕福な者はタオルやオイルや肌かき器を運ぶ capsarius と呼ばれる奴隷を伴い、本人が浴室に入っている間は私物が盗まれないよう監視させた。
文化的重要性
ローマ人にとって公衆浴場は社会生活の重要な一部だった。公の施設として建設され、貧富の差を問わず誰でも利用できた。飲食、運動、読書、商売、哲学的議論などができる場所だった。現代の同等なものを想定するとすれば、それは図書館、美術館、ショッピングモール、バー、レストラン、ジム、温泉が複合された施設である。
外国人になぜ毎日公衆浴場に行くのか訊かれ、ローマ皇帝は「1日に2回行くだけの時間をとれないからだ」と答えた[19]。
皇帝は市民を喜ばせ、自らの名声を後世に残すために公衆浴場を築いた。裕福なローマ人はローマ市民の名声を得たいとき、公衆浴場を1日貸切にして一般に無料公開した。例えば、執政官になりたい元老院議員は自身の誕生日に特定の公衆浴場を貸切にして無料開放し、その地区の人々に名を売った。
位置
公衆浴場はローマ帝国各地に築かれた。自然の熱水泉がある場所にも公衆浴場が築かれた(イングランドのバース、ルーマニアの Băile Herculane、ブルガリアの セルディカ(現ソフィア)など)。熱水泉がない場所ではハイポコーストが使われた。
古代ローマの浴場の遺跡
古代ローマの公衆浴場の遺跡はいくつも残っているが、その保存の程度は様々である。有名なものとしては、イングランドのバースにある公衆浴場ローマン・バス、ローマのカラカラ浴場、ディオクレティアヌス浴場、ティトゥス浴場、トラヤヌス浴場、ヴァルナの浴場などがある[20]。
- ^ Varro, De Ling. Lat. ix. 68, ed. Müller (cited by Rich, 183)
- ^ Cic. Ad Fam. xiv. 20 (cited by Rich, 183)
- ^ Ep. 86 (cited by Rich, 183)
- ^ Ad Q. Frat. iii. 1. § 1 (cited by Rich, 183)
- ^ De Ling. Lat. viii. 25, ix. 41, ed. Müller (cited by Rich, 183)
- ^ Ep. ii. 17. (cited by Rich, 184)
- ^ Juv. Sat. vii. 233 (cited by Rich, 184)
- ^ Sylv. i. 5. 13 (cited by Rich, 184)
- ^ vi. 42 (cited by Rich, 184)
- ^ ix. 76 (cited by Rich, 184)
- ^ 以降の記述は1898年の Harpers Dictionary of Classical Antiquities の項目から採用している。Harry Thurston Peck 編
- ^ Pro Cael. 26 (cited by Peck)
- ^ Dig. xlvii. 17 (cited by Peck)
- ^ Suet. Aug. 82 (cited by Peck)
- ^ Galen. x. 49 (cited by Peck)
- ^ Plin. H. N.xxxiii. 152 (cited by Peck)
- ^ Dio Cass. liii. 27 (cited by Peck)
- ^ Pallad. i. 40; v. 8 (cited by Peck)
- ^ A Day at the Baths NOVE Online
- ^ The Roman Thermae in Varna
- ^ 井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』(中公文庫版P63-67)
固有名詞の分類
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