北海道ちほく高原鉄道
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清算、解散
最終列車の通過から1時間が経過し、廃止日である2006年(平成18年)4月21日を迎えた北見市内では、0時を迎えた途端に踏切撤去作業が開始された[新聞 13]。この時点で82名いた社員は、4月30日付で74名が解雇もしくは出向元に戻り、5月より3名を新たに加えた11名体制で業務にあたった[新聞 14]。6月24日の株主総会で清算会社への移行を決議。資産売却などの残務整理が進められることになった[新聞 15]。
車両や土地・施設の売却は順調に進み、2007年(平成19年)12月22日の清算人会で純資産は約4億8,000万円で、これを株主に分配することが報告された。資本金は4億9,995万円であることから、ほぼ額面通りとなった[新聞 16]。経営安定化基金は施設撤去費や代替バスの車両購入費などに充てられ残額は約14億8,000万円となっていたが、通学定期差額補助分として約6,000万円を残し、沿線自治体に跡地利用対策費として交付することとなった[新聞 17]。
2008年(平成20年)3月15日、26名が出席し最後の株主総会が開催された。株主は万感の思い、すでに廃線となっているので今更どうしようもない思いなど気持ちは様々であった。質問が4件程度出たのみで35分間で終了した。清算結了の登記を経て、3月31日付で北海道ちほく高原鉄道は消滅した[新聞 18][新聞 19]。
路線
車両
ふるさと銀河線廃止時点で2形式の気動車が在籍していた。
開業当初は車両数が不足しており、必要車両数が揃うまでJR北海道のキハ22形を借り受けていた[15]。
運賃・切符
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り捨て)。
- 1989年(平成元年)6月4日:(営業開始)[12]。
- 1995年(平成7年)9月1日:運輸収入の改善を見込んだ改定[30][52][12]。
- 1997年(平成9年)4月1日:消費税率改定に伴う税率上昇分の改定[12][36]。
- 2001年(平成13年)4月1日:経営改善計画による運輸収入の改善を見込んだ改定[53]。
改定日 | (1989年6月4日) | 1995年9月1日 | 1997年4月1日 | 2001年4月1日 |
距離 (km) | 運賃(円) | |||
---|---|---|---|---|
- 3 | 140 | 160 | 160 | 180 |
- 6 | 180 | 210 | 210 | 230 |
- 10 | 210 | 250 | 250 | 280 |
- 15 | 240 | 280 | 290 | 320 |
- 20 | 330 | 390 | 400 | 440 |
- 23 | 410 | 480 | 490 | 540 |
- 28 | 490 | 580 | 590 | 650 |
- 32 | 590 | 690 | 700 | 770 |
- 37 | 670 | 790 | 810 | 890 |
- 41 | 760 | 890 | 910 | 1,000 |
- 46 | 840 | 990 | 1,010 | 1,110 |
- 55 | 980 | 1,150 | 1,170 | 1,290 |
- 64 | 1,140 | 1,340 | 1,370 | 1,510 |
- 73 | 1,320 | 1,550 | 1,580 | 1,740 |
- 82 | 1,490 | 1,750 | 1,780 | 1,960 |
- 91 | 1,670 | 1,960 | 2,000 | 2,200 |
- 100 | 1,850 | 2,170 | 2,210 | 2,430 |
- 110 | 1,940 | 2,280 | 2,320 | 2,550 |
- 128 | 2,270 | 2,660 | 2,710 | 2,980 |
- 140 | 2,590 | 3,040 | 3,100 | 3,410 |
一般向けに通年販売する割引乗車券は定期乗車券、区間式回数乗車券のほかでは1993年(平成5年)9月1日より金券式特殊回数券、3月1日には北見 - 帯広間を繁忙期限定で運行する特急バスへの対抗措置および開業5周年を迎えるにあたって北見駅・上常呂駅から帯広駅までの往復割引乗車券「銀河GOGO往復割引切符」などが設定されていた[25][54][55]。
このほか置戸駅・訓子府駅・上常呂駅から北見駅まで日曜・祝日限定のお買い物往復割引きっぷ、一日乗車券などが期間限定で発売された[16][17][18][56][19]。
注釈
出典
- ^ “旧ふるさと銀河線本社建物が解体される”. 鉄道ファンrailf.jp『鉄道ニュース』(風間諒平). 株式会社交友社. (2018年5月18日) 2018年9月4日閲覧。
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- ^ a b 『北見現代史』 952頁
- ^ a b 『写真で見る北海道の鉄道』 上巻 国鉄・JR線 236-237頁
- ^ a b 『北見現代史』 953頁
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- ^ 『写真で見る北海道の鉄道』 下巻 SL・青函連絡船他 222-223頁
- ^ 『北見現代史』 954頁
- ^ 『ふるさと銀河線10年のあゆみ』 21-24頁
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- ^ 『北見現代史』 969頁
- ^ 『ふるさと銀河線10年のあゆみ』 39-40頁
- ^ 『ふるさと銀河線10年のあゆみ』 59頁
- ^ 『ふるさと銀河線10年のあゆみ』 32-33頁
報道発表資料
- ^ 『SL銀河号』(プレスリリース)北海道ちほく高原鉄道。 オリジナルの2005年3月29日時点におけるアーカイブ 。2005年3月29日閲覧。
- ^ 『急告 平成17年3月28日』(プレスリリース)北海道ちほく高原鉄道、2005年3月28日。 オリジナルの2005年3月29日時点におけるアーカイブ 。2005年3月29日閲覧。
- ^ 『鉄道事業廃止届けの提出について』(プレスリリース)北海道ちほく高原鉄道、2005年4月21日。 オリジナルの2005年4月24日時点におけるアーカイブ 。2005年4月24日閲覧。
- ^ 『最終営業日における列車運行お別れ式の実施等について』(プレスリリース)北海道ちほく高原鉄道、2006年3月29日。 オリジナルの2006年4月8日時点におけるアーカイブ 。2006年4月8日閲覧。
- ^ 『4月20日(木)ふるさと銀河線さよなら列車運行に伴うお別れ式一覧』(プレスリリース)北海道ちほく高原鉄道、2006年4月17日。 オリジナルの2006年5月6日時点におけるアーカイブ 。2006年5月6日閲覧。
新聞記事
- ^ a b “さよなら池北線、こんにちは銀河線 JRがお別れ列車 あすから「ちほく高原鉄道」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年6月3日)
- ^ “銀河線「バス転換」含め協議入りへ 7市町足並みに乱れ 赤字負担の姿勢に差”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 28面(道東ワイド面). (2003年6月22日)
- ^ “銀河線 道がバス転換示唆 「真の狙いは?」揺れる自治体”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 27面(オホーツク面). (2003年9月5日)
- ^ “「住民無視だ」沿線首長反発 道が銀河線廃止を表明”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 25面(オホーツク面). (2003年11月24日)
- ^ “両案提示 苦渋の地元 銀河線協議会でバス転換検討容認”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 19面(オホーツク面). (2004年2月12日)
- ^ “銀河線経営分析最終報告 「新味ない」「茶番」 沿線住民ら失望と怒り”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 29面(オホーツク面). (2004年11月8日)
- ^ “思惑の差浮き彫り 銀河線協議会「バス転換」結論出ず”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 27面(オホーツク面). (2005年1月31日)
- ^ “銀河線 存廃結論持ち越し 首長の本音にじむ 十勝側 再建案検討を要求”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 22面(道東ワイド面). (2005年3月22日)
- ^ a b “銀河線廃止決定 激論 2時間20分 関係者協 傍聴席からため息も”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 29面(オホーツク面). (2005年3月28日)
- ^ “銀河線廃止 正式決定 激論4時間 株主総会 存続派には失望感”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 25面(オホーツク面). (2005年4月18日)
- ^ “汽笛消え… 銀河線代替バス発車 駅名表示板や遮断機撤去も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年4月21日)
- ^ “95年の旅 終着駅 銀河線 北見に最終列車”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年4月21日)
- ^ “止まりかけた「踏切跡」”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 23面(きたみ面). (2006年4月26日)
- ^ “ちほく高原鉄道 会社清算へ11人体制”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 21面(オホーツク面). (2006年5月2日)
- ^ “ちほく高原鉄道 清算人会発足 財産目録の整備急務に”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 29面(オホーツク面). (2006年6月25日)
- ^ “ちほく高原鉄道清算人会 資産4億8000万円で確定”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 24面(道東ワイド面). (2007年12月23日)
- ^ “銀河線基金残額 7市町に交付へ”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 24面(オホーツク面). (2008年2月14日)
- ^ “ちほく高原鉄道清算人会 決算報告を承認”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 28面(道東ワイド面). (2008年2月10日)
- ^ “銀河線 最後の株主総会 19年の歴史30分で幕”. 北海道新聞(朝刊・オホーツク版) (北海道新聞社): pp. 29面(オホーツク面). (2008年3月16日)
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