ロンゴロンゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 09:44 UTC 版)
解読の試み
他の未解読文字と同様、ロンゴロンゴについても多くの奇抜な解釈や、解読したという主張がなされてきた。しかしながら、ある文字板の太陰暦と関連があると思われる部分以外は、文字板の内容はまったく解明されていない。ロンゴロンゴが本当に言語を書き表した文字であることを前提とすると、解読に3つの問題点がある。1つは、現存しているテキストが少ないこと、2つ目は挿絵などの、テキストの解釈に役立つような、文字板の背景に関する情報が不足していること、そして3つ目は、古い時代のラパ・ヌイ語の詳細が解明されておらず、現代のラパ・ヌイ語はタヒチ語の影響を大きく受けているため、文字板に記された言語と現代ラパ・ヌイ語の間には大きな相違があると考えられることである[44]。
広く支持されている意見の1つに、ロンゴロンゴは言語を表記するための文字体系ではなく、原文字、あるいは系図や、踊りの振付、航海術、天文学、農業などに関する知識を、記憶するための記号である、というものがある。例えば、オックスフォード大学が出版している言語百科事典 Atlas of Languages では、「おそらく記憶の助けのためか、装飾目的のものであり、島の住民の言語であるラパ・ヌイ語を記録したものではないだろう」と説明されている[45]。もしこれが本当ならば、ロンゴロンゴが解読される望みはほとんどないであろう。
一方、ロンゴロンゴが文字であると考える人々の間では、それが本質的に表語文字なのか、あるいは音節文字なのかについて意見が分かれているが、純粋にいずれか一方のみからなるのではない、という点では一致しているようである[46]。
注釈
- ^ 木製のレプリカがイースター島の主都ハンガ・ロアのゼバスティアン・エングレルト神父人類学博物館 に所蔵されている。
- ^ ジャン=フランソワ・シャンポリオンがロゼッタ・ストーンの解読とヒエログリフの解析で快挙を成し、一大センセーションを巻き起こしたのが1822年。
- ^ a b ドイツ出身でイースター島に居住した神父、言語学者のゼバスティアン・エングレルト (Sebastian Englert) がロンゴロンゴをこのように訳しており("recitar, declamar, leer cantando" <to recite, declaim, read chanting>)、「タンガタ・ロンゴロンゴ」(tangata rogorogo = ロンゴロンゴ男)を「コハウ・ロンゴロンゴ(詠唱の絵文字を記した板)を読むことが出来る男」と説明している。ロンゴロンゴは「伝言、命令、知らせ」を意味する rongo の畳語であり、tangata rongo は「伝令者」の意である。
また、「コハウ」Kohau は「板の上に線 (hau) で書かれた絵文字、あるいは棒状の書記道具」とされている。
ラパ・ヌイ語の rongo /ɾoŋo/ の同根語は、 マレー語の dengar /dəŋar/、フィジー語の rogoca /roŋoða/、ハワイ語の lono /lono/等、他の多くのオーストロネシア語族の言語に見られ、いずれも「聞く」などの意味を有する。 - ^ Merton D. Simpson Gallery収蔵
- ^ a b 例えば、スイスの人類学者アルフレッド・メトロー(Alfred Métraux)は1938年、「文字板 V」について、「本物であるか疑わしい。絵文字は金属製の道具で刻まれたとみえ、本物の文字板の特徴である、絵文字の輪郭の規則性や美しさが見られない。」と述べている。1880年代には、文字板の模造品が旅行者の土産品として製作されていた。
- ^ これはおそらく、サンクトペテルブルクの博物館で моаи папа(翻字:moai papa) というラベルとともに所蔵されている、「モアイ・パアパア」の像(mo‘ai pa‘apa‘a, Catalog # 402-1)のことを指しているのであろう。
- ^ もし、ロンゴロンゴが純粋な音節文字であるなら、ラパ・ヌイ語を表記するのに必要な文字数は、母音の長短を区別しない、あるいは長母音を二重母音として扱った場合、55種類である[10]。
- ^
バルテルはこの方法を実際に試しており、ベルギーのフランソワ・デドラン(François Dederen)は、1993年に同じ方法でいくつかの文字板を複製している。フィッシャーは次のように述べている[23]。
「サンクトペテルブルク大文字板([P]r3)」では、…鳥の嘴が黒曜石の薄片で刻まれた跡を確認できるが、書記が上から清書する際により丸い形に直されている。…なぜなら、書記は清書の際にはサメの歯でできた別の道具で刻んでいるからである。「サンクトペテルブルク大文字板 [文字板 P]」には、清書の際に少し形を変えて刻まれた絵文字の例が多く見られる。 ロンゴロンゴの絵文字は、「物の輪郭を描いた絵文字」("contour script") であり、輪郭の中、あるいは外には、様々な線や、円、斜線、点が加えられている[24]、…しばしば、そのような絵文字の輪郭以外の部分が、サメの歯で清書されずに、黒曜石で刻まれた細かい線の下書のまま残されている例がある。このような例はとくに、「ウィーン小文字板(文字板 N)」ではっきりと認められる。
- ^ 一方ニワトリは、イースター島でも主な流通品のひとつであり、文字板の中には、首長が何人殺して、何羽のニワトリを盗んだのかを記念したものと推定されているものがあるにもかかわらず、ニワトリを描いたと思われる絵文字は見つかっていない[27]。
- ^ 「通常の炭素年代法で得られた結果は… 80 ±40 BP で、2-シグマ修正による年代は(95%の可能性)、Cal AD 1680からCal AD 1740の間(Cal BP 270から200)、Cal AD 1800から1930(Cal BP 150から20)、そして AD 1950から1960(Cal BP 0 から 0)であった; 実際、この文字板は1871年に収集されたものであるため、それより後の測定年代は誤りである。」"
- ^ 「ママリ」の木は幅19.6 cmで、外側の円周部に白木質を含んでいる。そのような幹の直径の特徴は、最大で高さが15 mになるPacific rosewoodの幹の特徴と一致する。
- ^ Dans toutes les cases on trouve des tablettes de bois ou des bâtons couverts de plusieurs espèces de caractères hiéroglyphiques: ce sont des figures d'animaux inconnues dans l'île, que les indigènes tracent au moyen de pierres tranchantes. Chaque figure a son nom; mais le peu de cas qu'ils font de ces tablettes m'incline à penser que ces caractères, restes d'une écriture primitive, sont pour eux maintenant un usage qu'ils conservent sans en chercher le sens.
- ^ メトローは、「現在の島の先住民456人は全員、1872年にフランスの宣教師達が島を離れた後に残っていた住民111人の子孫である」と述べている[38]。しかし、イギリスの人類学者キャサリン・ルートリッジ(Katherine Routlegde)は、ルーセル神父が島から避難した1871年に、島に残っていた住民の数は171人で、ほとんどが老人であったとしている[39]。また、アメリカ海軍の軍医でイースター島を訪問したジョージ・H・クーク(Geroge H. Cooke)は、1878年に約300人の人々が島から避難し、「イギリス海軍の軍艦サッフォー(H. M. S. Sappho)が1878年、イースター島に到着した際に島に残っていた住人の数は150人であった。」と記している。その中でクークは1886年に受け取った島全土の人口調査の要約を記載しており、それによると先住民が155人、外国人が11人となっている[28]。
- ^ バルテルは、「その形状、大きさ、置かれていた状況から、これらはここで2度行われた埋葬の際に、奉納された文字板であるとかなりの高い確率で言うことができる。」と述べている[40]。
- ^ しかし、ロシアの研究者イゴール・ポズドニアコフ(Igor Pozdniakov)とコンスタンティン・ポズドニアコフ(Konstantin Pozdniakov)は2007年、テキストのパターンの数に限りがあり、繰り返しが多い点から、歴史や神話のような複雑な内容の記録であることはありえない、という考えを示した。
出典
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- ^ Fischer 1997:667
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- ^ “バルテルの絵文字の分類方法の解説”. www.rongorongo.org. 2008年6月9日閲覧。
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- ^ Lee 1992[要ページ番号]
- ^ a b 図参照。その他、ロンゴロンゴの絵文字と似たペトログリフの例をここや、ここで見ることができる。
- ^ Macri 1995[要ページ番号]
- ^ Fischer 1997:21–24
- ^ Routledge 1919:207
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- ^ Englert 1970:80
- ^ Comrie et al. 1996:100
- ^ Pozdniakov and Pozdniakov, 2007
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