モンロー郡 (ミシガン州) モンロー郡 (ミシガン州)の概要

モンロー郡 (ミシガン州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 06:55 UTC 版)

ミシガン州モンロー郡
郡のミシガン州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立 1817年7月14日
郡名の由来 ジェームズ・モンロー
郡庁所在地 モンロー
最大の都市 モンロー
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水

1,761 km2 (680.03 mi2)
1,427 km2 (551.10 mi2)
334 km2 (128.93 mi2), 18.96%
人口
 - (2020年)
 - 密度

154,809人
標準時 東部: UTC-5/-4
ウェブサイト www.co.monroe.mi.us
1873年の地図からモンロー郡

モンロー郡はその全体でモンロー都市圏を構成している。またデトロイトアナーバーフリント広域都市圏に属するとされている。非公式にはオハイオ州のトレド都市圏の延伸部ともされることがある。モンロー郡は1817年にミシガン準州で2つめの郡として設立された(1つめはウェイン郡)。郡名は当時のアメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローに因んで名付けられた[2]

歴史

モンロー郡が設立される以前の地域で主要な開拓地はフレンチタウンであり、レーズン川の岸に1784年には入植されていた。ポタワトミ族インディアンフランス人開拓者に小さな土地を渡したものであり、当時その地域はヌーベルフランスの領土と主張されていた。フレンチタウンとそれよりやや北よりのサンディ・クリークの開拓地で住人は約100人を数えた。米英戦争のときはフレンチタウンの戦いの戦場となった。この戦いはアメリカにとっては最悪の結果となり、ミシガン州では最も犠牲の大きい戦闘となっている。戦場跡は現在レーズン川国定戦場公園の一部となっている[3]

モンロー郡は1817年にウェイン郡の南部が分かれて設立された。当時は州に昇格する前のミシガン準州時代であり、ウェイン郡が唯一の郡で、デトロイト地域でも1,000人の人口があるだけだった。人口が増えてくると、ウェイン郡の南部が分離してモンロー郡となり、フレンチタウンは「モンロー」という名前で町の区割りがなされた。この町も1817年に村として法人化され[4]、郡庁所在地になった。郡名と市名は、当時の大統領ジェームズ・モンローが地域を訪れてくれることを期待して、モンローと名付けられた[2]。郡設立の直後の1820年国勢調査による人口は僅か336人だった[5]。設立された当時の領域は内陸に60マイル (97 km) 伸びており現在の大きさの2倍だったが、1826年に西半分が分離され、レンアウェイ郡が設立された[2][6]

モンロー郡の住人で最も有名なのがジョージ・アームストロング・カスター(1839年-1876年)であり、子供の時にモンローに移転し、腹違いの姉や義兄弟と共に住んだ。モンローで生まれたわけではないが、モンローの学校で学び、後にアメリカ合衆国陸軍士官学校に入学するために移転した。南北戦争中の1864年にモンローに戻り、以前モンローに住んでいた時代に出会ったエリザベス・ベイコン(1842年-1933年)と結婚した。カスターの家族の大半はモンローに住んでいた。ヘンリー・アームストロング・リード(1858年-1876年)やボストン・カスター(1848年-1876年)などである。リトルビッグホーンの戦いで彼等が戦死した後、ヘンリーとボストンはモンロー市の歴史あるウッドランド墓地に埋葬されており、ベイコン家の者も同様である。同じ戦闘で戦死したもののジョージ・カスターはウェスト・ポイント墓地に埋葬され、それから60年近く後に無くなったエリザベスもジョージの側に埋葬された。1910年、当時の大統領ウィリアム・タフトとエリザベスが、カスターの騎馬像を除幕し、現在はモンロー市中心街のエルム通りとモンロー通りの角に立っている[7][8]

境界紛争

現在のオハイオ州トレド市が1833年に法人化されたとき、ミシガン準州のモンロー郡に属しており、これがトレド戦争とその後の州境界変更に繋がった

現在のオハイオ州トレド市が1833年に法人化されたとき、ミシガン準州のモンロー郡に属していた。1787年の北西部条例で当初の境界はミシガン湖の最南端を通る東西方向の線と規定されていたので、モーミー川河口周辺の小さな帯状地はミシガン準州の管轄圏内にあった。1803年、北西部領土の中でオハイオが最初に州に昇格し、その北側境界をこの地域が含まれる形で主張した。1805年にミシガン準州が正式に組織化されたとき、その領域にはやはりこの地域が含まれていた。1833年から1836年、トレドはモンロー郡に含まれており、トレド・ストリップと呼ばれた地域を巡ってミシガン準州とオハイオ州との間で、トレド戦争と呼ばれる境界紛争が起きた。1836年後半、ミシガン準州の「少年知事」スティーブンス・T・メイソンを嫌っていたアンドリュー・ジャクソン大統領が、オハイオ州に有利な裁定を下し、トレド・ストリップはオハイオ州のものとなった。ミシガンはその代償として当時は荒れ地と考えられていたアッパー半島を手に入れ、ミシガンは1837年1月26日に州に昇格した[9]。トレド市がモンロー郡に入っていた当時、トレド市は面積でも人口でもモンロー市を越えていた。新しい州境線標識が建てられた1915年、ミシガン州知事のウッドブリッジ・ネイサン・フェリスとオハイオ州知事のフランク・B・ウィリスが境界紛争の休戦を祝った。

トレド戦争が終わった時の新しい州境はほぼ北緯41度44分とされ、モーミー川河口の直ぐ北に引かれた。これでモーミー川とトレド市はオハイオ州となったが、ミシガン州にとって思わぬ結果も生んだ。その州境はより小さなオタワ川を横切っており、「失われた半島」と呼ばれる小さな飛び地を作った(座標では北緯41度44分08.3秒 西経83度27分35.6秒 / 北緯41.735639度 西経83.459889度 / 41.735639; -83.459889)。この小さな半島に住む数少ない住人は、ミシガン州本土に行くために一旦南にあるオハイオ州のワシントン郡区に入り、車で10分で北に戻ることが必要になった。「失われた半島」はエリー郡区が管理しており、半島の大半はマリーナになっている[10]

モンロー郡の領域は1837年から1973年まで固定されていたが、トレド戦争から136年経ったこの年に最後に残っていた論点が解決された。エリー湖遠くに浮かぶ小さな無人島のタートル島は、島の灯台が閉鎖された後に何十年も所有権を巡った論争が続いていた。この島は長くミシガン州が支配していたが、オハイオ州が論争を続けていた。1973年2月22日、合意が形成され、モンロー郡とオハイオ州ルーカス郡で島を分け合う形で州境が引き直され、これが最後の州境修正となった。エリー郡区がタートル島のミシガン川の管轄権を持ち、トレド市が残り半分を支配することとされた。この島に関することはどちらの側も合意しようとせず、論争の種であり続けている。今日の島には幾つか放棄された建造物があり、新しい建物の建設は裁判所命令で停止させられている[11][12]

経済史

モンロー郡は20世紀半ばまで、大半は農業地帯のままであり、また多くの製紙工場があることで知られていた。最初の製紙工場は1834年に建てられた[13]。1916年、オーガスト・メイアーがブリスク・ブラストを設立した。この会社は自転車の空気入れのメーカーであり、1919年にはモンロー・オート・イクイップメント会社として自動車の衝撃緩衝器を生産するために拡張した。1977年、この会社は国際的な会社であるテネコと合併した。今日、その世界本社がモンロー・チャーター郡区内にあり、モンロー・ショックスとストラッツを生産し続けている[13]。1927年、エドワード・クナブッシュとエドウィン・シューメーカーの従兄弟同士が家のガレージで小さな家具製造会社を立ち上げた。この会社が後に世界的な "La-Z-Boy" 社となり、その世界本社はモンロー市のノース・テレグラフ道路沿いにある[14]。本社だけが市内にあり、製品は中華人民共和国で製造されている[15]

1957年、エリー湖に近いフレンチタウン・チャーター郡区内でエンリコ・フェルミ原子力発電所が初めて開設された。現在ではデトロイト・エジソンが運転しているが、親会社のDTEエナジーが所有している。1974年、北アメリカでも第4位の石炭焚き火力発電所であるモンロー発電所が開設された。高さ805フィート (245 m) の二本煙突は25マイル (40 km) 離れても見ることができ、州内でも背の高い構造物となっている。この発電所が能力を上げるときに、最初の2本よりも背が低く幅が広い3本目の煙突が建設された[16]。1929年、モンロー市のエリー湖沿いにニュートン・スティールが製鋼所を開設し、1942年にはアルコア社に、1947年にはケルジー・ヘイズ社に、1949年にはフォード・モーター社に買収され、その後は2000年にビステオン事業部の下に入り、2005年にはオートモーティブ・コンポーネンツ・ホルディングスの傘下に入った。この工場は郡内でも著名なメーカーであり、フォード社の自動車部品を生産している。またエリー湖やレーズン川を汚染させた高濃度化学品でも知られている。閉鎖される可能性もあったが、現在でも1,200人の雇用を続けている[15][17]。今日、モンロー港は著しく工業化されており、近年は多くの製造業がモンロー郡に移ってきた。2001年、カベラズがダンディーに店舗を建設した。この種の店舗としては最大規模であり、多くの観光客を呼び、ダンディーの経済を大きく改善している[18]。2002年にはグローバル・エンジン・マニュファクチャリング・アライアンスもダンディに設立された。

地理

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は680.03平方マイル (1,761.3 km2)であり、このうち陸地551.10平方マイル (1,427.3 km2)、水域は128.93平方マイル (333.9 km2)で水域率は18.96%である[19]

モンロー郡はエリー湖に接することでは州内唯一の郡である。レーズン川とサンディ・クリークが郡内を流れている。スターリング州立公園が郡内唯一の州立公園であり、エリー湖にあることでも州内唯一である(ミシガン州には98の州立公園がある)。デトロイト川国際野生生物保護区が南に伸びて郡内に入っており、また北モーミー湾考古学地区の一部が入っている[20]。ミシガン州内で最も標高が低いのがモンロー郡であり、エリー湖岸の標高は571フィート (174 m) である[21]




  1. ^ Quickfacts.census.gov”. 2023年12月7日閲覧。
  2. ^ a b c アーカイブされたコピー”. 2009年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月17日閲覧。 List of Michigan counties with creation date
  3. ^ http://www.riverraisinbattlefield.org/the_battles.htm Battle of Frenchtown
  4. ^ Romig, Walter (1986) [1973]. Michigan Place Names. Detroit, Michigan: Wayne State University Press. ISBN 0-8143-1838-X 
  5. ^ http://members.tripod.com/~tfred/1820mon.html Monroe County, Michigan (1820 census)
  6. ^ http://www.genealogyinc.com/michigan/maps/ Map of county formations
  7. ^ http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?_r=1&res=9D0DE7DA1530E233A25756C1A9639C946196D6CF History of the Custer statue
  8. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月28日閲覧。 Custer statue moved
  9. ^ http://www.michigan.gov/dmva/0,1607,7-126-2360_3003_3009-16934--,00.html Brief summary of the Toledo War
  10. ^ Lost Peninsula Marina. “Lost Peninsula Marina”. 2009年8月15日閲覧。
  11. ^ http://www.captain-johns.com/Ohio/turtlehistory.pdf History of Turtle Island
  12. ^ http://www.aerialpics.com/I/turtleI.html Aerial photographs of Turtle Island
  13. ^ a b City of Monroe (2007年). “City of Monroe – Industry”. 2009年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月17日閲覧。
  14. ^ La-Z-Boy Incorporated (2009年). “La-Z-Boy: Making history since 1927”. 2009年8月18日閲覧。
  15. ^ a b Bogle, Charles (2007年9月18日). “Closing of Monroe, Michigan, factory marks the end of a way of life”. 2009年8月18日閲覧。
  16. ^ The Center for Land Use Interpretation (2009年). “Monroe Power Plant”. 2009年8月18日閲覧。
  17. ^ Kolak, Sheri (1995年5月13日). “Ford Motor Company, Monroe Stamping Plant”. 2009年8月18日閲覧。
  18. ^ Toledo Business Journal (2000年3月1日). “Dundee site of $15m Cabela's project”. 2009年8月18日閲覧。
  19. ^ Census 2010 U.S. Gazetteer Files: Counties”. United States Census. 2011年11月5日閲覧。
  20. ^ United States Fish and Wildlife Service (2009年). “Detroit River International Wildlife Refuge”. 2009年6月17日閲覧。
  21. ^ United States Geological Survey (2005年). “USGS Elevations and Distances in the United States”. 2009年6月4日閲覧。
  22. ^ Michigan DOT: Lake Erie Transit http://www.michigan.gov/mdot/0,1607,7-151-9625_21607-164483--,00.html
  23. ^ http://mich.gov/documents/Ttf_19117_7.pdf Custer Airport details
  24. ^ http://mich.gov/documents/DUH_18478_7.pdf Toledo Express Airport
  25. ^ アーカイブされたコピー”. 2010年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月7日閲覧。 Climate of Monroe
  26. ^ http://www.crh.noaa.gov/dtx/torstats/county.php?co=mon Monroe County tornado statistics
  27. ^ Detroit Free Press (2010年). “Tornado Damage in Southeast Michigan”. 2010年7月20日閲覧。
  28. ^ http://www.crh.noaa.gov/dtx/stories/dtxcane.php Hurricanes in Michigan?
  29. ^ U.S. Census Bureau (2009年9月4日). “Monroe County, Michigan County QuickFacts”. 2011年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月22日閲覧。
  30. ^ Associated Press (2009年9月22日). “Merci or danke? What are we?”. Monroe Evening News (Monroe, Michigan). http://www.monroenews.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20090922/NEWS01/709229992 2009年9月22日閲覧。 
  31. ^ a b c Monroe County Intermediate School District (2009年). “Monroe County Educational Directory 2009–10”. 2010年2月27日閲覧。[リンク切れ]
  32. ^ Michigan Department of Information Technology (2008年3月). “Monroe ISD public school boundaries”. 2010年2月23日閲覧。
  33. ^ http://www.michigan.org/Property/Detail.aspx?p=B12997 Eby Log Cabin
  34. ^ http://www.michigan.org/Property/Detail.aspx?p=B4897 Martha Barker Country Store Museum
  35. ^ http://www.monroecountyfair.com/ Monroe County Fair
  36. ^ http://www.historicmonroe.org/museum/index.htm Monroe County Historical Museum
  37. ^ http://www.monroelabor.org/ Monroe County Labor History Museum
  38. ^ http://www.michigan.org/Property/Detail.aspx?p=B12813 Monroe County Vietnam Veterans Historical Museum
  39. ^ http://www.riverraisinbattlefield.org/visitorscenter.htm River Raisin Battlefield Visitor Center
  40. ^ http://www.riverraisincentre.org/ River Raisin Centre for the Arts
  41. ^ Stiffler, Ronda (2009年). “Arbor Day founder’s roots trace back to Monroe, Michigan”. 2010年3月9日閲覧。


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