マイク・マッカラム 来歴

マイク・マッカラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/14 01:21 UTC 版)

来歴

1976年ジャマイカ代表としてモントリオールオリンピックボクシングウェルター級に出場し、準々決勝で敗退した。

1981年2月19日、プロデビュー。

1982年11月13日、元WBA世界スーパーウェルター級王者アユブ・カルレウガンダ)と対戦し、7回終了時TKO勝ち。

1984年10月19日、WBA世界スーパーウェルター級王座決定戦でショーン・マニオンアイルランド)と対戦し、3-0の大差判定勝ち。全勝(22戦22勝)のまま世界王座を獲得した。

1986年8月23日、ジュリアン・ジャクソンアメリカ)と対戦し、2回TKO勝ち。全勝同士の試合を制し、3度目の防衛に成功した。

1987年4月19日、元WBC世界ウェルター級王者ミルトン・マクローリー(アメリカ)と対戦し、10回TKO勝ちで5度目の防衛に成功。マクローリーの2階級制覇を阻止した。

1987年7月18日、元WBA・WBC・IBF世界ウェルター級統一王者ドナルド・カリー(アメリカ)と対戦し、5回KO勝ちで6度目の防衛に成功。カリーの2階級制覇を阻止した。

1987年8月、階級を上げるためWBA世界スーパーウェルター級王座を返上。

1988年3月5日、WBA世界ミドル級王者スンブ・カランベイ(イタリア)に挑戦し、0-3の判定負けで2階級制覇に失敗。プロキャリア初黒星を喫した。

1989年5月10日、WBA世界ミドル級王座決定戦でヘロール・グラハム(イングランド)と対戦し、2-1の判定勝ちで2階級制覇に成功した。

1990年2月3日、後の2階級制覇者スティーブ・コリンズ(アイルランド)と対戦し、3-0の判定勝ちで初防衛に成功した。

1991年4月1日、スンブ・カランベイと3年ぶりに再戦し、2-1の判定勝ちで雪辱を果たすとともに3度目の防衛に成功した。

1991年12月13日、IBF世界ミドル級王者ジェームズ・トニー(アメリカ)に挑戦し、1-1の判定ドローで王座獲得ならず。この試合は王座統一戦となるはずであったが、自身の持つWBA王座は試合前に剥奪された。

1992年8月29日、ジェームズ・トニーと再戦し、0-2の判定負けで王座獲得ならず。

1993年3月4日、階級を2つ上げWBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でランドール・ヨンカー(アメリカ)と対戦し、5回TKO勝ちで3階級制覇に成功した。

1994年7月23日、WBC世界ライトヘビー級王座統一戦で正規王者ジェフ・ハーディングオーストラリア)と対戦し、3-0の判定勝ちで正規王者となった。

1995年2月25日、カール・ジョーンズ(アメリカ)と対戦し、7回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。

1995年6月16日、ファブリス・ティオゾフランス)と対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した。

1996年11月22日、WBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でロイ・ジョーンズ・ジュニア(アメリカ)と対戦し、0-3の大差判定負けで王座返り咲きならず。

1997年2月22日、WBU世界クルーザー級王座決定戦でジェームズ・トニー(アメリカ)と約6年ぶりに対戦し、0-3の判定負け。この試合を最後に引退した。




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