ベンドア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 10:04 UTC 版)
ベンドア | |
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欧字表記 | Bend Or |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1877年 |
死没 | 1903年 |
父 | ドンカスター |
母 | ルージュローズ |
生国 | イギリス |
生産者 | 初代ウェストミンスター公爵 |
馬主 | 初代ウェストミンスター公爵 |
調教師 | ロバート・ベック |
競走成績 | |
生涯成績 | 14戦10勝 |
毛色は母の父ソーマンビー、父の父ストックウェルから受け継いだベンドア斑(別名:バードキャッチャー斑)により黒い斑点を持っており、しかも尾花栗毛の珍しい毛色であった。馬体そのものは16.1ハンド(約164cm)のすばらしい馬体を誇っていたという。
戦績
2歳時は大差こそ付けなかったが瞬発力の違いでリッチモンドステークスなど5連勝。だが3歳になると脚部不安で満足にレースを使えずエプソムダービーを迎えてしまった。問題はそれだけではなく、エプソムダービーの25日前には主戦騎手のフレッド・アーチャーがミュリーエドレスに噛みつかれ右腕を負傷するという事態に見舞われていたが、アーチャーは医者や調教師の説得に応じず、痛み止めを使用し、腕に鉄板を巻き付けてエプソムダービーに挑んだ。しかも観衆はベンドアを3倍の一番人気に押していた。この時の騎乗はいまや伝説として語られ、片腕だけでロバートザデヴィルにアタマ差を付け優勝した。
エプソムダービーの2週間後、ベンドアに替え玉疑惑がかけられたが、替え玉ではないと結論づけられた(DNA調査を含む後世の研究の結果、現在ではベンドアとタドカスターは実際に入れ替わっていたと考えられている。詳細は#後述)。1か月後にセントジェームズパレスステークスに出走し、デビューからの連勝を7に伸ばしている。秋のセントレジャーステークスでは二冠に挑んだがエプソムダービーで下したロバートザデヴィルに大差を付けられ5着に敗れ、さらにグレートフォールステークス、チャンピオンステークスともにロバートザデヴィルの2着としこの年を終えている。
翌年はシティ&サバーバンハンデキャップと言うレースでアメリカ産のエプソムダービー優勝馬フォックスホールとのダービー馬対決を制し、エプソムゴールドカップではロバートザデヴィルとのマッチレースが組まれクビ差下した。また秋にはチャンピオンステークスを制し、ケンブリッジャーステークスを134ポンド(約60.8kg)のトップハンデながら5着と好走し現役を終えた。
引退後
引退後はウェストミンスター公のイートン牧場で種牡馬入りした。種牡馬としてはイギリスクラシック三冠馬オーモンド、2000ギニー優勝馬ボナヴィスタの2頭の後継種牡馬を初め優秀な産駒を多数送り出したが、同時期のセントサイモンの圧倒的な種牡馬成績の前にリーディングサイアーを取ることはなかった。だが、その後のファラリス等の活躍により現在の主流血統を形成している。ノーザンダンサーもナスルーラもミスタープロスペクターもベンドアの直系子孫である。
主な産駒
- オーモンド 英クラシック三冠、チャンピオンステークス、デューハーストプレート
- ボナヴィスタ 2000ギニー
- ラヴェノ ジョッキークラブステークス、チャンピオンステークス
- マータゴン アスコットゴールドカップ、グッドウッドカップ
- オービット エクリプスステークス
- オリオン プリンスオブウェールズステークス、チャンピオンステークス
- オーヴェイト サセックスステークス、ニューマーケットダービー
- ケンダル 1897年イギリスリーディングサイアー
- ルージュグロワ デューハーストステークス
- ラディウム ドンカスターカップ(孫に名馬ファーラップ)
- ベンストローム 1903年アメリカリーディングサイアー
血統表
ベンドアの血統(エクリプス系/4代内アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 Doncaster 1870 栗毛 |
父の父 Stockwell1849 栗毛 |
The Baron | Birdcatcher | |
Echidna | ||||
Pocahontas | Glencoe | |||
Marpessa | ||||
父の母 Marigold1860 栗毛 |
Teddington | Orlando | ||
Miss Twickenham | ||||
Ratan Mare | Ratan | |||
Melbourne Mare | ||||
母 Rouge Rose 1865 栗毛 |
Thormanby 1857 栗毛 |
Windhound | Pantaloon | |
Phryne | ||||
Alice Hawthorn | Muley Moloch | |||
Rebecca | ||||
母の母 Ellen Horne1844 黒鹿毛 |
Redshank | Sandbeck | ||
Johanna | ||||
Delhi | Plenipotentiary | |||
Pawn Junior F-No.1-k |
注釈
- ^ 同時代の報道では馬名を「Muncaster」(マンカスター)とするものもある[3]。
- ^ たとえば、クレメンスとその子たちは、蹄鉄をつけるのを嫌がるところがあり、タドカスターも同じだった。一方、ルージュローズやその産駒のベンドアは、みな蹄鉄をつけるのがスムーズだったという[2]。
- ^ 後世の調査によると、「ベンドア」と「タドカスター」は同じ栗毛とはいえ、ベンドアには「ベンドア班」があり、タドカスターは赤っぽい栗毛で、耳の形も違っていて、外見も違っていたという。ただしこの点は、ダービー当時には論点にはならなかった[2]。1882年に、初代ウェストミンスター公爵は、タドカスターの母クレメンスにベンドアを配合している。もしも仮にタドカスターとベンドアが入れ替わっていたとしたら、この配合は母と息子の交配ということになる。この件は1914年になって議論の対象となり、初代ウェストミンスター公爵自身が「すり替え」など無かったと信じている証拠とみなされるようになった[2]。
出典
- 1 ベンドアとは
- 2 ベンドアの概要
- 3 タドカスターとの入れ替わり
- 4 脚注
固有名詞の分類
サラブレッド |
フービーガットユー ヒデハヤテ ベンドア エンペラージョーンズ アグネスゴールド |
イギリス調教の競走馬 |
ホワイトマズル サーハリー ベンドア エンペラージョーンズ プリティーポリー |
イギリス生産の競走馬 |
ホワイトマズル サーハリー ベンドア アフリカンローズ スウィンフォード |
1877年生 (競走馬) |
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