ヘラクレイオス 家族

ヘラクレイオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 08:31 UTC 版)

家族

ヘラクレイオスは正式に二度結婚している。 最初は610年にRogasの娘ファビア(580年 - 612年)と結婚。同時にファビアは名をエウドキアに改名した。以下の1男1女がいる。

  • エウドキア・エピファニア(611年 - ?)
  • コンスタンティノス3世(612年 - 641年

二度目は実の姪(妹マリアの娘)マルティナと結婚。少なくとも10人の子を儲けたが、2人は障害者で近親結婚と非難された。

  • コンスタンティノス(コンスタンティヌスとも。615年 - 631年)- 615年にカエサルと命名。
  • フラウィウス(ファビウスとも。616年 - 631年)- 首に麻痺があった(脊柱側弯症とされる)。
  • テオドシウス(テオドシオスとも。622年 - 641年以降)- 聴覚障害があった。Shahrbaraz の娘ニケと結婚。
  • ヘラクロナス(ヘラクレイオス2世とも。626年 - 641年以降)
  • ダヴィド(後にティベリウス(ティベリオス)に改名。630年11月7日 - 641年以降)- 638年にカエサル(副帝)とされる。641年の兄ヘラクロナスと母マルティナの追放劇に巻き込まれ、ロードス島に追放された。
  • マリヌス(632年 - 641年以降)- カエサル(副帝)。
  • アウグスティナ(634年 - 638年)- 638年にアウグスタの称号を得る。
  • マルティナ(636年 - 638年)- 638年にアウグスタの称号を得る。
  • フェブロニア(生没年不詳)
  • アナスタシア?(マルティナと同一人物か別人かについては不明)
  • 他に618年生誕の子と620年生誕の子(2人は名前不詳で631年没)がいるといわれているが、マルティナとの子女についてはその人数と名前、生まれた順番に議論がある)。

少なくとも1人の非嫡出子がいる。生母の名は不明だが、一説に585年頃に生まれた娘(パトリキウスの称号を持っていたゲルマヌスの次女)とされる。

ヨハンネスの系譜関係については、ヘラクレイオスの非嫡出子ではなく、540年に当時の東ゴート王ウィティギスが降伏して、ウィティギスと共にコンスタンティノポリスに送られた貴族の一団の中にいたアマラフリード王子(511年頃 - 552年以降に没。560年頃か?)、テオドリックの妹アマラフリーダの孫でアマラベルガがテューリンゲン王ヘルマンフリートに産んだ息子。ロデリンダの兄))の直系子孫(アマラフリード王子には詳しい事績が分からないアルタキスという息子がおり、ヨハンネスを孫もしくは曾孫以下と仮定)する説がある。[8]もう一つ、ヘラクレイオスの非嫡出子かつアマラフリード王子の子孫とする説がある。この場合ヘラクレイオスはアマラフリード王子と直接の血縁関係はない為、母方の家系(ヨハンネスの母の先祖)がアマラフリード王子の血を引いている可能性が考えられる。


  1. ^ オストロゴルスキー2001、p.112。
  2. ^ 「敵にとり、何とよい国であることか」との訳語もある。
  3. ^ 島崎(2010)pp.146-147
  4. ^ Davis 1990, p. 260.
  5. ^ ギリシャ人#東ローマ帝国時代」参照
  6. ^ 東ローマ帝国の皇帝一覧」参照
  7. ^ ローマ王」、「皇帝#東ローマ帝国」も参照
  8. ^ Wolfram Brandesの説。


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