プノンペン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 14:29 UTC 版)
プノンペン | ||
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プノンペン都 ក្រុងភ្នំពេញ Phnom Penh Capital City | ||
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北緯11度33分 東経104度55分 / 北緯11.550度 東経104.917度 | ||
国 | カンボジア | |
都 | プノンペン都 | |
建設 | 1372年 | |
政府 | ||
• 都知事 | クオン・スレン | |
面積 | ||
• 合計 | 678.46 km2 | |
標高 | 11.89 m | |
人口 (2019年) | ||
• 合計 | 2,129,371人 | |
• 密度 | 3,100人/km2 | |
等時帯 | UTC+7 (カンボジア標準時) | |
市外局番 | +855 (023) | |
ウェブサイト | プノンペン都公式サイト |
カンボジアの行政、文化、経済の中心地で、「東洋のパリ」と謳われたフランス植民地時代の美しい街並みが残っている。また、王宮があり、カンボジア国王一家が住んでいる。
プノンペンという名はクメール語で「ペン(夫人)の丘」という意味である。ペン夫人は信心深い女性で、川を流れてきた仏像を見つけ、近くの丘に祠を作り仏像を手厚く祀ったことから「プノンペン」と名付けられ、それが町の名前になった。その丘はワット・プノン(Wat Phnom)と名づけられ、ペン夫人の像や仏塔が立っている。
歴史
13世紀 ジャヤヴァルマン7世の時代、ワット・ウナロムの地に寺院が建立されている。 1431年シャムの度重なる侵攻により時の王ポニェ・ヤートはアンコール・トムからコンポンチャム州のスレイ・サントーに遷都したが、あまりに河川の氾濫たびたび起こるのでプノンペンに再遷都したという。 15-16世紀はプノンペン、ロンヴァェクと首都も転々とした。
16世紀、四つの大河の出会う場所、すなわちチャット・ムック(「四つの川=四つの顔」を意味する。「四つの腕」という解釈も知られるが間違い)の名で知られたプノンペンは交易がさかんな町ではあったが湿地帯だった。スペイン人やオランダ人、あるいは華僑や日本人が貿易で多数往来していた。彼らはカンボジア王室の内紛に介入したりもしていたという。
1866年王宮建設、ウドンからプノンペンに遷都を行った。
1920年代、"アジアの真珠" として知られる。プノンペン国際空港建設。
1953年のカンボジア独立以来1960年代までは隣国の内戦をよそに表面的な平和を保ち、プノンペンは「東洋のパリ」としてその美しさと治安のよさを称えられていた。
1970年のロン・ノルによる軍事クーデターにより、アメリカがカンボジアに軍事介入し、共産勢力を攻撃するために農村部に爆撃を開始した。そのため農業ができなくなった農民たちが、アメリカからの空輸食料を求めて首都に集結せざるを得なくなり、1975年ロン・ノル政権末期にはプノンペンの人口は200万人を超えていたといわれている。
1975年4月17日、クメール・ルージュによりプノンペンは陥落した。最初は市民に歓迎ムードで迎えられたクメール・ルージュであるが、アメリカが爆撃に来るなどと市民を偽り、あるいは暴力をもって強制的に市民を各方面へと放逐した。この過程で抵抗して射殺されたり、自殺したり病人、老人や子供、妊婦など数万人が犠牲となったといわれている。
以後1979年1月7日の、ヴェトナム軍と、ヘン・サムリン率いるカンプチア民族救国戦線とによるプノンペン陥落までの間、都市人口はわずかに5000人ほどであったといわれている。プノンペンにはS21という、元々はキエンスワイという土地で高等学校だった場所に強制収容所が設けられ、ロンノル時代の公務員、軍人、知識人はもとより、クメール・ルージュの忠実な幹部までがさまざまなスパイ容疑のもとに収容、拷問された挙句、市外近郊のチュンエクにある、いわゆるキリング・フィールドにて惨殺された。2万人以上収容されて、生存者はわずかに6名といわれている。ちなみに映画でも有名になったキリング・フィールドという言葉は固有名詞では決してなく、カンボジア各地に存在する。
またこの時代、シハヌーク元国王一族はシハモニ現国王ともどもプノンペンの王宮に幽閉されていた。しかし彼らはプノンペン陥落前にクメール・ルージュによって中国に脱出させられた。
1991年にカンボジア内戦が終結し、その後はカンボジアの経済成長と共に発展を続けている。近年では日本企業の進出も活発であり、2014年にはカンボジア国内初の本格的ショッピングモールであるイオンモールプノンペン、更に2015年にはカンボジア国内初の日本資本のホテルである東横インプノンペンがオープンした。また三菱商事や三井住友銀行・パナソニックの企業も市内に事務所を設置している[2]。
地理
カンボジア南部にあり、メコン川の上下流・トンレサップ川・バサック川の「四つの川」の合流点に位置する(厳密に言えば「トンレサップ」は湖と川の両方を含めた語彙であり、「トンレサップの河川部分」という表現が正しい)。
- ^ 日本 外務省
- ^ プノンペンスタイル (PDF) - JETRO(2016年5月11日閲覧)
- ^ “政府機関等”. 在日本カンボジア王国大使館. 2020年2月4日閲覧。
- ^ “カンボジアの国土政策の概要”. 国土交通省国土政策局. 2020年2月4日閲覧。
- ^ “カンボジア住所の日本式表記について”. 在カンボジア日本大使館. 2020年2月4日閲覧。
- ^ 新規就航!成田から1日1便 プノンペン - ANA(2016年5月11日閲覧)
- ^ “動画:カンボジアと隣国タイを結ぶ鉄道、45年ぶりに復旧”. AFP (2018年7月5日). 2018年7月7日閲覧。
プノンペンと同じ種類の言葉
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