チキータ・ブランド 設立

チキータ・ブランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 02:36 UTC 版)

設立

ヘンリー・メイグス
アンドリュー・プレストン

1871年にヘンリー・メイグス英語版コスタリカ政府と首都サン・ホセからカリブ海の港町リモンまでの鉄道建設の契約を結び、彼の甥のマイナー・C・キース英語版に事業を手伝わせた。1873年、労働者向けの安い食料として鉄道沿いにバナナの栽培が始められた。1877年にメイグスが亡くなるとキースが跡を継いだ。数年後にはグアテマラの国土の大部分を獲得した。

第二次キューバ独立戦争で富豪デュモア家のバナナ・プランテーションが破壊された。そこへユナイテッド・フルーツが、1899年にキースのバナナ取引会社とアンドリュー・プレストン英語版ボストン・フルーツ・カンパニー英語版の合併で設立された。社長にはプレストン、副社長にキースが就任した。

この合併は、バナナを主要な目的としたものではなかった。主目的は砂糖の生産であった。サトウキビ畑を仕切るために、サトウキビプランテーションで働く奴隷の食料の供給のため、バナナを植えていた。18世紀には農場主から富豪が何人も出ていた。会社はモノカルチャーを企図した。

キューバの支配

設立後すぐキューバへ進出し、20年とたたぬうちに、バネス湾とニペ湾を取り囲む総計8200カバレリア[注釈 1] の土地を手に入れ、両湾にそれぞれ砂糖セントラルを建設し各エリアをコントロールした。

自作農に土地を手放させるため、ユナイテッド・フルーツは小作人へのサトウキビ受け入れ割当分を、自作農より多くした。さらに、会社の所有地の境界線を最大限に活かして自作農の土地を巧妙に取り囲み、私有鉄道路線も利用して自作農が他のセントラルにサトウキビを売れなくした。バネス・ニペ各湾地域は独立して垂直構造をとる複合企業として機能し、どちらもボストンに本部を構えた。砂糖の売却はアメリカ合衆国の本部で行なうため、両区は必要経費だけを受け取ることになっていた。その予算はボストン・ファースト・ナショナル銀行(2005年からバンカメ)によって綿密に算出された。一方では、1902年に本国占領軍が定めた外国人労働者を排除する法令を覆そうと折衝を重ね、1913年にキューバ政府がジャマイカからの労働者導入を例外的に許容、1917年8月に導入を全面的に認めた。1920年の経済危機のために、1921年8月には外国人労働者の本国送還令が出され、1922年5月に導入が再び禁止された。しかし、毎年政府の特別許可を取れば導入できたので、ユナイテッド・フルーツは1923年からこの方式で労働力を得るようになった。ユナイテッド・フルーツは砂糖セントラルの設備を更新した。1926年、砂糖生産に法的制限が加えられた(Verdeja Act, etc.)。世界恐慌は雇用を通じてキューバ人を支配する契機となった。[1]

米西戦争をすぎてからキューバに米国資本が本格的に投下された。1903年ユナイテッド・フルーツは冷凍輸送をした最初の企業となった。1904年商用無線を初めて採用。1910年には営業圏内で中継なしのラジオサービスを使いこなした。1907年と1912年に吸収合併をしてユナイテッド・フルーツは砂糖貿易に参入した。[2]

棍棒外交

1928年11月12日、コロンビアのサンタ・マルタ近郊の農場で労働者のストライキが勃発、12月6日コロンビア軍の将軍、Cortés Vargasによって鎮圧されたがこの時犠牲者が多数出た(バナナ労働者虐殺事件英語版)。犠牲者数については47人から2000人まで諸説ある。この事件に対してはホルヘ・エリエセル・ガイタン議員がユナイテッド・フルーツ社のために軍が行動したと非難した。一方、軍は共産主義革命対策だと主張している。

1930年、中米最大企業のユナイテッド・フルーツはユダヤ系ロシア人のバナナ王サミュエル・ザムライに買収され、政商として1970年まで繁栄を続けた[3][4]アメリカ合衆国国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレス、CIA長官を務めたアレン・ウェルシュ・ダレスは同社の大株主である[5]。ユナイテッド・フルーツの繁栄期には、1934年の輸入割当(Jones–Costigan amendment)、1953年の国際砂糖協定による割当強化、1962年のキューバ危機が全て収まる。

1948年にボゴタでのOAS会議中、当選確実といわれた選挙直前にコロンビア自由党員だったホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されたことをきっかけに、激昂した自由党派の市民と保守党派の市民が衝突し、ボゴタ暴動英語版(ボゴタソ)が発生した。この一連の暴動により、コロンビアは「暴力の時代英語版」(1946年 - 1950年)を迎えた[注釈 2]

当時「バナナ共和国」と呼ばれたグアテマラなどでも(ホンジュラスの経済も参照されたい)、ユナイテッド・フルーツがバナナやパイナップルなどの果物取引をコントロールした。1954年にはCIAと組み、グアテマラのハコボ・アルベンス・グスマン政権の転覆(PBSUCCESS作戦)に成功した。アルベンスは選挙後に公約どおり大規模な農地改革を実行した。本国の従業員に対する厚遇は有名とされ、社屋はもちろん専門の病院や学校を無料で開放し、給料も高かったと言うが、アルベンス政権以前のグアテマラでは全人口の3%が国土の70%を所有しており、著しい貧富の格差があった。しかしユナイテッド・フルーツ社は農園経営においてグアテマラの超富裕層と結託しており、ユナイテッド・フルーツ社とCIAは既得権益を失うことを恐れてアルベンスを過剰に親ソ連派として攻撃、失脚させた。[6]


注釈

  1. ^ 1カバレリア=13.4ヘクタール
  2. ^ 死者数は全て併せると20万人にも及ぶと推測される。
  3. ^ Donaldson, Lufkin & Jenrette. ドレクセル・バーナム・ランバートの庇護下にあり、2000年8月にアクサ・フィナンシャルからクレディ・スイス・ファースト・ボストンへ売却された。
  4. ^ ここで利益をあげた機関投資家には、ドナルドソンが運用するファンドもあったが、ドレフュス商会(現メロン財閥)が運用しバーニー・コーンフェルドが売りさばくドレフュス・ファンドもあった。
  5. ^ ブラックの息子レオンはドレクセル・バーナム・ランバートでキャリアを積んで、1990年にアポロ・グローバル・マネジメントApollo Global Management)を創設した。
  6. ^ ボストンの血を引くチキータ・ブランドは、ラッセル商会やボーンズマンとのしがらみをブッシュと持ち続け、一方ではジョン・モルガンロスチャイルドのいるベルギーのランベール閨閥の勢力下にあるといえる。
  7. ^ 砂糖・バナナ両面で。砂糖は1981年からEUが輸出補助金を出している(外部リンクの亀岡レポートを参照)。バナナは従来チキータがEU市場に4割のシェアを維持していたのが1993年から半分となった。
  8. ^ サイラスが他に持つ肩書きとしてブルッキングス研究所理事。Michael A. Levi、Michael E. O'Hanlon, The Future of Arms Control, Brookings Institution Press, 2004, p.111.

出典

  1. ^ 阿部久子 「ユナイテド・フルーツ会社: キューバにおける帝国主義支配の一事例」 ハバナ, 1976年(書評) 一橋研究8巻2号 1983年; 原書 Jorge Pérez, etc., eds., United Fruit Company: un caso del dominio imperialista en Cuba, Editorial de Ciencias Sociales, 1976
  2. ^ a b c d International Directory of Company Histories, Vol.83.
  3. ^ Cohen, Rich (2012年6月6日). “Birth of America’s Banana King: An excerpt from Rich Cohen’s The Fish That Ate the Whale”.
  4. ^ Zemurray (1877-1961)”. United Fruit Historical Society (2001年).
  5. ^ 松岡正剛. “反米大陸”. 松岡正剛の千夜一夜・遊蕩篇. 2012年4月7日閲覧。
  6. ^ Robert B Durham, False Flags, Covert Operations, & Propaganda, Lulu.com, 2014, pp.278-295.
  7. ^ Edsall, Thomas B. (July 1, 2004), “Republicans Name 62 Who Raised Big Money”, The Washington Post: A06, http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A19026-2004Jun30.html 
  8. ^ Drinkard, Jim (2005年1月17日). “Donors get good seats, great access this week”. USA Today. http://www.usatoday.com/news/washington/2005-01-16-inauguration-donors_x.htm 2010年5月17日閲覧。 
  9. ^ “Financing the inauguration”. USA Today. (2005年1月16日). http://www.usatoday.com/news/washington/2005-01-16-inaugural-donors_x.htm 2010年5月17日閲覧。 
  10. ^ “Some question inaugural's multi-million price tag”. USA Today. (2005年1月14日). http://www.usatoday.com/news/washington/2005-01-14-price_x.htm 2010年5月17日閲覧。 





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