ジョーン・ロビンソン ジョーン・ロビンソンの概要

ジョーン・ロビンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 03:23 UTC 版)

ジョーン・ロビンソン
ポストケインジアン
生誕 (1903-10-31) 1903年10月31日
サリー
死没

1983年8月5日(1983-08-05)(79歳)


ケンブリッジ
国籍 イギリス
研究機関 ケンブリッジ大学
研究分野 貨幣経済学
不完全競争理論
経済成長理論
博士課程
指導教員
ジョン・メイナード・ケインズ[1]
博士課程
指導学生
アマルティア・セン[1]
影響を
受けた人物
ジョン・メイナード・ケインズ
ピエロ・スラッファ
ミハウ・カレツキ
影響を
与えた人物
アタナシオス・アシマコプロス
ニコラス・カルドア
Amit Bhaduri
Zenobia Knakiewicz
実績 ケンブリッジ成長理論
Amoroso-Robinson relation
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生涯

陸軍将校で作家のフレデリック・モーリス英語版の娘として生まれる。夫のオースティン・ロビンソンも経済学者。

ピエロ・スラッファの影響を受けて、不完全競争の理論を確立した。また、1931年に結成されたケインズ・サーカスではその中心メンバーとして活躍。

その後、マルクス経済学も研究の対象とし、再生産表式から1933年ジョン・メイナード・ケインズに先立って有効需要の原理を発見したミハウ・カレツキの影響を強く受けている。マルクス理論を評価しながらも、その欠陥を多様な観点から指摘し、マルクス理論を「信仰」するマルクス主義に対しては厳しく批判している[4][5][6]

ケインズ一般理論発表後はケインズ理論の動学化を研究し、アメリカポール・サミュエルソンロバート・ソローらと論争を繰り広げた。また、カレツキをはじめとするマルクス経済学者のケインズ理論解釈に評価を与えた一方で、アメリカで主流となったIS-LM分析や新古典派理論に対する激しい批判者でもあった。アメリカで発展したサミュエルソン等いわゆる「ケインジアン」たちの理論が、政策上の利便性を求めて本来のケインズやサーカスの理論的前提条件を安易に曲げてしまったことで、かえって現実世界における理論的妥当性を失ってしまったことを激しく批判し、彼らを「似非ケインジアン」(Bastard Keynesian)と呼んだ[7]

晩年は毛沢東主義に傾倒し、共産党の指導下における中国の経済発展に希望を見ていた[8][9]

略歴

  • 1903年 イングランドサリーで生まれた。
  • ロンドンのSt.Paul's Girls' Schoolに通う。
  • 1921年 ケンブリッジ大学ガートン・カレッジに入学(途中で歴史から経済学に転じる)。
  • 1925年 経済学のトライポス(優等卒業試験)を通り、卒業する。
  • 1926年 ケンブリッジの経済学者オースティン・ロビンソンと結婚する。
  • 彼の仕事の関係で2年半ほどインドに滞在する。
  • 1929年 イギリスへ帰国。
  • 1931年 ケンブリッジ大学のAssistant Lecturerになる。
  • 1933年 『不完全競争の経済学』出版。
  • 1937年 ケンブリッジ大学のUniversity Lecturerになる。
  • 1949年 Reader(准教授)になる。
  • 1956年 『資本蓄積論』出版。
  • 1958年 ブリティシュ・アカデミーに入る。
  • 1962年 Newnham Collegeのフェローとなる。
  • 1965年 (夫の後を受けて)Newnham Collegeの教授となる一方、Girton Collegeのフェローとなる。
  • 1979年 King's Collegeで、女性で初めてのフェローとなる。
  • 1983年 死去(79歳)

  1. ^ a b Mathematics Genealogy Projectを参照。
  2. ^ ロビンソン』 - コトバンク
  3. ^ 根井 2004, p. 151.
  4. ^ 「An Essay on Marxian Economics(マルクス経済学についての一試論)」(1942),「マルクス主義経済学の検討」(1955) 「マルクスとケインズ」(1948) :『資本理論とケインズ経済学』 p69-83.「労働価値論」(スウィージー編「論争マルクス経済学」書評、1950):『資本理論とケインズ経済学』 p84-91.「マルクス主義の何が生き残るか」 (1957):『資本理論とケインズ経済学』 p.106-116.
  5. ^ 竹本司朗 「マルクス主義批判 」經濟學論叢 24巻4-6号、1976,同志社大学経済学会、p276-298,松嶋敦茂「パレートのマルクス経済学批判」彦根論叢, 第213号, pp. 145-169,滋賀大学経済学会,1982年.
  6. ^ 鈴木重靖ロビンソンとマルクス: 価値および剰余価値論を中心として」立教経済学研究49(4),1996,p1-22.
  7. ^ 小谷野俊夫(訳)、G. C. ハーコート、プリュー・ケール 『ジョーン・ロビンソン (マクミラン経済学者列伝) 』、一灯舎、2021年、p365.
  8. ^ 橘木俊詔 『朝日おとなの学びなおし 経済学 課題解明の経済学史』 朝日新聞出版、2012年、154頁。
  9. ^ 根井 2004, pp. 152–153.
  10. ^ a b トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、23頁。
  11. ^ トーマス・カリアー 『ノーベル経済学賞の40年〈上〉-20世紀経済思想史入門』 筑摩書房〈筑摩選書〉、2012年、23-24頁。
  12. ^ J.ロビンソン『資本理論とケインズ経済学』 ポスト・ケインジアン叢書 山田克巳訳、日本経済評論社、1988年,p315.
  13. ^ ロビンソン「マルクス主義の何が生き残るか」 (1957):『資本理論とケインズ経済学』山田克巳訳、日本経済評論社、1988年 p.106-116.


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