カライ派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/25 15:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動/qr'/は読むという意味で、ミクラーなどの語根でもある。カライとは「文字を読む者」「文字の解釈に精通する者」を意味するアラム語である[1]。
8世紀半ばのバビロニアのラビ、アナン・ベン・ダヴィドを創始者とする。同氏やその子孫を独自の指導者と仰ぐようになった一派は当初アナン派と呼ばれていたが、9世紀以降はカライ派と呼ばれるようになった[3]。
ミシュナーなどを認めないことは、古代のサドカイ派に通じるところがあり、実際にその起源はサドカイ派に求められるとされる。またイスラム教のムゥタズィラ派からの影響も伺われ、カライ派が確立したこの哲学は後にサアディア・ガオンへ通じ、ラビ・ユダヤ教にも普及した。皮肉にもこうして生まれた近似はカライ派との対立を深めた。サアディアはこうしてカライ派の影響を受けて改革されたラビ・ユダヤ教の論理で、カライ派への攻撃を行うことになった。
シャバット
聖書の厳密な解釈と実行が殊に現れるのはシャバットでの過ごし方にあり、家からの外出をしないばかりか火を焚く行為も行わない。
今日のカライ派
イスラエル、カイロ、イスタンブール、クリミア、ポーランド、リトアニアにコミュニティーが残っている[注釈 1]。
リトアニアのトラカイには、カライ派ユダヤ教徒を扱った博物館や、カライ派料理のレストランがある。また、この町ではカライ派ユダヤ教徒の祭典も催される。トラカイ市の新しい紋章は、カライ派ユダヤ教徒を象徴しているという説もある[要出典]。
カライ派文書
特に「黄金時代」にミクラー註解書、様々な論議などの膨大な文献が生み出された。これらの文書は、カライ派以外の新しくまた不備な点のないミシュナーとタルムードを護る動き― サアディア・ガオンとサアディアのカライ派への批判論的文書がその頂点に達した ― を誘発した。
脚注
参考文献
- 小松久男編著 『テュルクを知るための61章』明石書店〈エリア・スタディーズ148〉、2016年。ISBN 978-4-7503-4396-9。
- 嶋田英晴 『ユダヤ教徒に見る生き残り戦略』晃洋書房、2015年。ISBN 978-4-7710-2652-0。
文献案内
- Karaite Anthology (Leon Nemoy) ISBN 0300039298
- Karaite Jews of Egypt (Mourad el-Kodsi) (1987)
- Karaite Separatism in 19th Century Russia (Philip Miller)
- An Introduction to Karaite Judaism (Yaron, et. al.) ISBN 0970077548
- Karaite Judaism and Historical Understanding (Fred Astren) ISBN 1570035180
- Just for the record in the history of the Karaite Jews of Egypt in modern times (Mourad el-Kodsi) (2002)
- The Dead Sea Scrolls in the Historiography and Self-Image of Contemporary Karaites (Daniel J. Lasker) Dead Sea Discoveries, Nov 2002, Vol. 9 Issue 3, p281, 14p-294; DOI: 10.1163/156851702320917832; (AN 8688101)
- Karaites of Christendom--Karaites of Islam (W.M. Brinner) from "The Islamic World: Essays in Honor of Bernard Lewis" Princeton University Press 1989
注釈
出典
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