アルザス人 概要

アルザス人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 08:24 UTC 版)

概要

アルザスの中心都市はストラスブール(ドイツ語名:シュトラスブルク[注釈 1])である。

いまではライン川をはさんでドイツと国境を接しているこの地域は、元来ドイツの前身である神聖ローマ帝国の支配下にあり、フランス領になったのはスペイン継承戦争以後である。これ以降、アルザス人は「ブルボン家に仕えるドイツ人」と呼ばれるようになった。

フランス領になってからは「フランス化」が進められたが、普仏戦争でドイツに再統合された[注釈 2]

しかし、140年も及ぶフランス支配の帰結として、他のドイツ人とアルザス人との間には文化的・政治的意識のズレが生じ、ツァーベルン事件を機にドイツ人に侮辱されたアルザス人自身はドイツを完全な祖国と見なさない場合が多くなった。他のドイツ人からはアルザス人はフランス文化に汚されていると見なされ、アルザス人は徐々に他のドイツ人と違った独自のアイデンティティーを模索するようになった。

第一次世界大戦後、アルザスは再びフランス領となったが、第二次世界大戦においてナチス・ドイツはアルザスを奪回し、一時的に支配下に置いた。しかし、ドイツの敗戦と共にアルザスは再々度フランス領となり、今に至る。

このように度々フランスとドイツの係争地となったこともあり、アルザス人の間には国民意識というより地域意識といえるような独自のアイデンティティーが形成されていった。

著名なアルザス人

脚注

注釈


  1. ^ その語源はドイツ語で「街道の街」であり、交通の要衝として栄えた。
  2. ^ このときのエピソードとして、かつてはフランス語に変わってドイツ語が強制されたとアルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』が例に取り上げられることがあった。しかし、アルザス人が用いる言語アルザス語はドイツ語の方言もしくは標準ドイツ語と極めて近縁な言語であり、実際にはフランス政府による国民統合推進の犠牲となり、アルザス本来のドイツ文化が抑圧されてきた。そのため、この作品はアルザスの実態を示すというよりも、反独民族主義的なイデオロギーを含む作品と考えられている。


「アルザス人」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アルザス人」の関連用語

アルザス人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アルザス人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアルザス人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS