だんぶり長者
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脚注
参考文献
- 無明舎出版編 編『米代川読本』無名舎出版〈んだんだブックレット〉、2005年1月。ISBN 978-4-89544-381-4。
関連項目
- ^ a b 『だんぶり』、八幡秀男、だんぶり社、1984年、p.152-172
- ^ しかし、1860年(万延元年)の盛岡藩主南部利剛が鹿角地方を巡視したとき、中奥御小姓として仕えていた上山守古は、約1ヶ月に及ぶ事項を『両鹿角扈従(こしょう)日記』に記している。花輪図書館で編集された「鹿角関係抄」によると、1ページ目に田山村の近くに天狗森(北緯40度08分34.52秒 東経140度55分19.92秒 / 北緯40.1429222度 東経140.9222000度)という山があること。3ページ目に湯瀬渓谷の天狗橋は天狗が一夜にして渡した江戸時代の伝説があることが記されている。
- ^ 『奥浄瑠璃本『鹿角郡田山村檀毘盧長者之本地』と『地蔵寺開闢伝』』、阿部幹男、1984年、p.46
- ^ 『奥浄瑠璃本『鹿角郡田山村檀毘盧長者之本地』と『地蔵寺開闢伝』』、阿部幹男、1984年、p.45
- ^ 『鹿角市史 第4巻』、鹿角市、1996年、p.697-699
- ^ 黄金伝説『尾去沢鉱山伝説 だんぶり長者埋宝秘伝』、高瀬博、昭和58年、よねしろ書房
- ^ 『埋蔵金物語: ルポルタージュ. 第1巻 (史実とその謎)』、畠山清行、人物往来社、1961年、p.175-224
- ^ 『青森県史 民俗編資料南部』、青森県史編さん民俗部会、2001年、p.759~763
- ^ 『奥浄瑠璃本『鹿角郡田山村檀毘盧長者之本地』と『地蔵寺開闢伝』』、阿部幹男、1984年
- ^ 『南部叢書 第9冊』、南部叢書刊行会、1928年、p.367~368
- ^ 『青森県史 民俗編資料南部』、青森県史編さん民俗部会、2001年、p.759
- ^ 『奥浄瑠璃本『鹿角郡田山村檀毘盧長者之本地』と『地蔵寺開闢伝』』、阿部幹男、1984年、p.3
- ^ 「昔話『夢の蜂』と遊離魂信仰」、『昔話伝説研究』21号、井伊美紀子、2000年
- ^ 『天台寺研究 第三号』、天台寺研究会編、1982年、p.90-103
- ^ 三湖伝説#十和田山青龍権現信仰の十和田の本地の記録の第二類。『十和田由来記』がそれで父の出身地は赤子(とっこ)とルビがふられている。『十和田記』では赤谷とされているがルビはないものの、北沼が近くにあると記されていることから独鈷であることが分かる。独鈷の大日堂は現在真言宗である。
- ^ 『十和田湖が語る古代北奥の謎』、校倉書房、「古代北奥への仏教浸透について」、大矢邦宣、p.56-57、2006年
- ^ 『山本町史』、山本町史編纂委員会、昭和54年、p.745
- ^ 菅江真澄全集 第6巻(地誌)『雪の出羽路平鹿郡』、未来社、1976年、p.497-498
- ^ 『日本の民話17 周防・長門篇』、松岡利夫編、未来社、1979年 、p.19-22
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