にせ‐え〔‐ヱ〕【似絵】
似絵
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似絵(にせえ)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて流行した大和絵系の肖像画を指す絵画用語。
- ^ 赤松俊秀によると、院政期以前において、天皇・摂関ら権力者の生前に肖像を描くことは政敵に呪詛成功の機会を提供する恐れがあったため、彼らは肖像制作に関心を示さなかったとされるが(「鎌倉文化」 『岩波講座日本歴史 第5』 岩波書店、1962年)、この説には反論もある(伊藤大輔 「似絵の描かれた場-いわゆる呪詛論を視野に」 『国華』第1274号、2001年)。
- ^ 『玉葉』承安3年(1173年)9月9日及び12月7日条。なお、『玉葉』の記主である九条兼実は、このことを「奇特」と評し、自分がそこに描かれなかったことは「第一之冥加也」としている。これは、当時の公卿にとって、自身の容貌を描かれることへの抵抗感がなお根強く残っていたことを物語るエピソードである。
- ^ 『吉記』承安4年(1174年)9月22日条。
- ^ これを、品定めの手段、一種のブロマイドとして利用されたとする説がある。棚橋光男 『後白河法皇』 講談社学術文庫 ISBN 978-4061597778、69-70p
似絵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
後鳥羽上皇像 藤原隆信の子藤原信実が描いたと伝わる後鳥羽上皇の肖像である。水無瀬神宮(大阪府島本町)所蔵で1221年の制作と考えられる。国宝。 花園天皇像 豪信(藤原豪信)の筆によるもので、文人としても知られた花園天皇を描いた作であるが、面貌に個性的な表現がみられる。暦応元年(1338年)の宸翰記文がある。長福寺(京都市)蔵。 伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像 藤原隆信の筆と伝承されてきた似絵の最高傑作で、特に伝源頼朝像・伝平重盛像の端正さは有名である。京都北郊の神護寺に伝わることから「神護寺三像」とも総称される。今日、美術史の立場から、康永四年(1345年)の足利直義願文を根拠に伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像はそれぞれ足利直義、足利尊氏、足利義詮の3名を描いたものであるとの新説が有力となっている。3像とも国宝に指定されている。 親鸞上人像 藤原信実の子、専阿弥陀仏が描いたもので、親鸞自身が驚くほど似ていたといわれる。そのため、この絵は「鏡の御影」と称された。 北条実時像・北条顕時像・金沢貞顕像・金沢貞将像 いずれも称名寺所蔵で絹本著色。「四将像」の名で伝世した肖像画として、文化史的にも価値が高い。画像の製作時期はいずれも像主の生存年代に近い。4像とも国宝である。附(つけたり)指定された顕弁像は貞顕の兄に当たり、鶴岡八幡宮の別当として僧正となった人物である。
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