GMOアスリーツ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:40 UTC 版)
青学大卒業後も競技を継続し、2018年4月にGMOアスリーツへ入社。 2年半振り2度目のフルマラソンとなった、2018年8月の北海道マラソン2018・男子の部(マラソングランドチャンピオンシップ・2020年東京オリンピック男子マラソン選考会)に出場。だが、本番5日前に左足ふくらはぎを痛めた影響で、レース序盤から優勝争いへ殆ど絡めないまま、2時間25分台の44位と惨敗だった。 3年ぶりの出場となった、2019年3月の東京マラソン2019へエントリー。再びマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権獲得を目指したが、冷雨と低温の悪条件が災いしてか、25Km以降は第2集団からも脱落して完全にスローダウン。結局、2時間17分台の総合32位(日本男子27着)に終わった。 MGCへ最後の切符をかけて、自身海外初めてのフルとなる2019年4月のハンブルクマラソンに、大学からのチームメート・一色と共に出走したが、2時間13分台の19位止まりでMGC出場権獲得は成らなかった。 2019年11月、第60回東日本実業団対抗駅伝競走大会へ初出場。6区(10.6Km)を担当、区間9位の30分45秒でゴール。GMOアスリーツ・チーム総合5位に入り、全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)への初出場を果たす。 2020年元日開催の、第64回全日本実業団対抗駅伝競走大会に出走。アンカーの7区(15.5Km)を担当、区間14位の46分39秒でフィニッシュ(GMOアスリーツ・チーム総合5位)。 2020年3月、東京マラソン2020(MGCファイナルチャレンジ第2弾)に出場し、男子マラソン日本記録(2時間5分50秒・当時)の更新を目指した。だが、結果は総合13位(日本男子7着)に留まったものの、自身初のサブテン(2時間10分未満)を達成し、マラソン自己記録を4分以上更新する2時間07分台でゴールした。
※この「GMOアスリーツ時代」の解説は、「下田裕太」の解説の一部です。
「GMOアスリーツ時代」を含む「下田裕太」の記事については、「下田裕太」の概要を参照ください。
GMOアスリーツ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:48 UTC 版)
大学卒業後は、既に内定していたGMOインターネットが創設している男子陸上部チームに入部・所属中。 2017年12月、第48回防府読売マラソンへ社会人入り後初のフルマラソンに挑戦。30Km付近までペースメーカーが先導する優勝争いの集団に加わっていたが、その後優勝した公務員ランナー・川内優輝らのロングスパートについていけず終盤はスローダウン。結果は2時間15分台の8位に留まった。 2018年2月、自身4度目となる東京マラソン2018・フルの部に出場。終始ペースが大きく乱れることなく、40Km手前では青学大駅伝部の1年先輩だった神野大地(コニカミノルタ)を追い抜き、2時間09分台の好タイムでフィニッシュ。自己ベスト記録を約2分更新し、かつ一色自身初めて(また、青学大駅伝部OBとしても史上初)のサブ10(2時間10分未満)を達成した。しかしながら総合順位13位・日本男子でも8着と、今大会は設楽悠太(Honda)が2時間6分11秒のゴールタイムで、男子マラソン日本記録を16年ぶり更新など全体的にハイレベルな争いとなり、マラソングランドチャンピオンシップ(2020年東京オリンピック選考会)出場権獲得は成らなかった。 2018年10月、自身海外初挑戦のフランクフルトマラソン(ドイツ)で、MGC出場権(ワイルドカード・男子2大会2時間11分以内)を目指したが、結局2時間14分台の総合17位に終わった。 翌2019年3月、2年連続で東京マラソン2019にエントリー。序盤から先頭から離れて第2集団に待機していたが、レース後半に入ると冷雨と向い風による影響でペースダウン。総合10位(日本人6着)でゴールするも、記録は2時間12分21秒とワイルドカードとしてのMGC出場条件は僅か4秒届かず(2時間12分17秒以内)、ゴール後は完全に力尽き倒れ込み、無念の表情を浮かべていた。 MGCへのラストチャンスを賭けて、東京から2か月弱のインターバルながら同年4月のハンブルクマラソン2019に出走。2時間11分台の記録でフィニッシュし、ようやくワイルドカードの基準を満たしてMGC出場権を獲得。これで青学大OBとしては合計4人(ほか橋本崚・藤川拓也・神野大地)と成り、原晋監督は一色に労いの言葉を送っていた。 だがその後、腸脛靭帯炎を発症し猛練習を積む事が出来ず、2019年9月15日開催のMGC本番レースは調整不足により欠場を表明、東京五輪の男子マラソン日本代表出場は絶望的となった。 2020年1月の第25回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会へ、3年ぶりに京都府代表の7区・アンカーを務め、6区からの中継所では暫定3位でたすきを受けた。だが、スタート直後からスピードに乗れず、後続のランナーに次々と追い抜かれてしまい、京都府代表は総合13位・自身区間41位の不本意な結果に終わった。 2020年3月の東京マラソン2020へ3年連続で出走。日本記録並みのハイペースな第2集団についていったが、20Km付近で脱落。それでも後半は大きくペースダウンすること無く上手くまとめて、マラソン自己記録を2分4秒更新する、2時間7分39秒の総合15位(日本人9着)に入った。なお、同大会では男子マラソン日本記録保持者の大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が2時間5分29秒のゴールタイムで、大迫自らが持つマラソン日本記録を21秒更新となった。
※この「GMOアスリーツ時代」の解説は、「一色恭志」の解説の一部です。
「GMOアスリーツ時代」を含む「一色恭志」の記事については、「一色恭志」の概要を参照ください。
GMOアスリーツ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 23:04 UTC 版)
2016年12月の第47回防府読売マラソンでは、川内優輝などの有力選手に競り勝ち、自己記録を3分以上更新する2時間11分台でマラソン初優勝を果たす。2017年2月の東京マラソン2017では2時間13分台の20位に終わった。 2017年7月のゴールドコーストマラソンでは自己ベストで4位に入った。 2018年12月の第72回福岡国際マラソンでは、30km地点まで服部勇馬らの先頭争いについていたが、終盤で失速。2時間11分台の9位(日本人7着)に留まった。 2019年2月の第68回別府大分毎日マラソンでは、32kmまで先頭集団に加わり、2時間09分29秒の自己ベストで日本人2番手の5位入賞。マラソングランドチャンピオンシップ(2020年東京オリンピック男子マラソン選考会)への出場権を獲得した。 2019年9月15日のMGCでは17kmで一旦2位集団から離れたが、26.4kmで再び2位集団に追いつき、37.4kmで先頭の設楽悠太をかわす。6人となった先頭集団から39kmで仕掛けて揺さぶりをかけるも、直後の中村匠吾のロングスパートには対応できず、5位に終わった。 2020年3月8日、東京五輪男子マラソンの補欠代表(2番手)に選出された。
※この「GMOアスリーツ時代」の解説は、「橋本崚」の解説の一部です。
「GMOアスリーツ時代」を含む「橋本崚」の記事については、「橋本崚」の概要を参照ください。
- GMOアスリーツ時代のページへのリンク