1984年度後期 - 1987年度(逸見・幸田時代)
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前番組『FNNニュースレポート6:00』と『FNNニュースレポート6:30』を統合した民放初の1時間枠のニュース番組(実際は「あすの天気」が別枠扱いのため55分)。1984年10月1日に放送開始。メインアンカーマンには『FNNニュースレポート6:00』から引き続き逸見政孝アナウンサーが起用され、アシスタントにフリーアナウンサーの幸田シャーミンが登板。スポーツコーナーは月-水曜は『FNNニュースレポート6:00』から野球解説者の河村保彦、木-金曜は野球解説者の江本孟紀が担当。タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』等のロゴを手がけた山形憲一、音楽は『クイズダービー』等を手がけたたかしまあきひこが担当。 1984年度 - 1987年度の沿革 1984年10月1日 - 放送開始。 1985年4月1日 - リニューアル。スポーツコーナーは月-水曜日はスポーツ記者の長田渚左、木-金曜日は体操競技選手でロサンゼルスオリンピック金メダリストの森末慎二が担当。また同番組の開始前に生放送バラエティ番組・『夕やけニャンニャン』がスタートした。 1985年4月6日 - 土日版がスタート。アンカーマンは陣内誠、アシスタントは城ヶ崎祐子、スポーツコーナーは川端健嗣の各アナウンサーが担当。 1985年8月12日 - 日本航空123便墜落事故発生。夏休み期間中で地元の大阪に帰る予定のあった逸見政孝も当初定期123便ボーイング747SR-100に乗る予定だったが家族の勧めで東海道新幹線に変えた事で難を逃れる。逸見の夏休み期間中、代理キャスターを務めていたのが露木茂で、当番組を含めた臨時ニュースのメインキャスターを務めた功績で日本新聞協会賞を受賞。 1986年3月30日 - 川端健嗣が降板。『FNNモーニングコール』の司会となる。 1986年4月5日 - 土日版のスポーツコーナーに三宅正治アナウンサーが登板。 1986年7月7日 - 第38回衆議院議員総選挙及び第14回参議院議員通常選挙の開票が行われ『ダブルマッチ'86ニャンだって16時間ぶっつづけ開票速報』が放送され司会を本番組から逸見政孝と幸田シャーミン、『FNNニュースレポート11:30』の露木茂が、またフィールドキャスターをおニャン子クラブが担当。 1986年9月28日 - 陣内誠が降板。営業局に異動。 1986年10月4日 - 土日版のアンカーマンに山中秀樹アナウンサーが登板。 1987年3月29日 - 三宅正治が降板。スポーツ実況に専念。 1987年4月3日 - 金曜日アシスタントとして野間脩平アナウンサーが登板。逸見との男性コンビとなる。 1987年4月4日 - 土日版のスポーツコーナーに永麻理アナウンサーが登板。 1987年7月18日・19日 - 『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』が放送され本番組も『FNNスーパータイムスペシャル』として放送。司会は同番組総合司会のタモリと月-金曜版アンカーマンの逸見が担当。天気予報はお天気キャスターの福井敏雄と長野智子アナウンサーが、宮城県からの中継をムツゴロウさんこと畑正憲が担当した。 1987年9月27日 - 山中秀樹・城ヶ崎祐子・永麻理が降板。山中、城ヶ崎は『FNNモーニングコール』のアシスタントとなる。 1987年10月2日 - 金曜日、土日版のアシスタントに安藤優子が登板。 1987年10月3日 - 土日版のアンカーマンに野間脩平、スポーツコーナーは笠井信輔両アナウンサーが担当。 1988年3月27日 - 野間脩平・笠井信輔が降板。野間は『FNNスピーク』の金曜日キャスター。笠井は『タイム3』のアシスタントとなる。 1988年3月31日 - 幸田シャーミンが降板。ハーバード大学ケネディスクールに留学。
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