FNSスーパースペシャルテレビ夢列島
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『FNSスーパースペシャルテレビ夢列島』(エフエヌエススーパースペシャルテレビゆめれっとう)は、1987年から1991年までの『FNSの日』の通称であり、1年に1度夏に生放送された長時間特別番組である。通称は『夢列島』・『FNSテレビ夢列島』[注 1]。
注釈
- ^ 開始当初は日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に対抗して同じ24時間の放送時間であったため、『FNS24時間テレビ』という通称もあった。実際、1993年に『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』の収録中にゲスト出演者が事故で死亡するという事件を受けた緊急記者会見で当時のフジテレビの編成局長村上光一が当番組を指して「24時間テレビ」という発言している。
- ^ 番組開始から『さんまのプロ野球ニュースデラックス』直前までは、『笑っていいとも!』での容姿であった髪型(7:3分け)と色が薄い茶色系レンズのサングラスの格好。以降エンディングまでは、当時タモリの普段の容姿であった真ん中分けと銀縁の黒いサングラスのスタイルで務めた。なお、1988年・1989年の回は全編通じて普段の容姿で臨んだ。
- ^ レギュラー放送は味の素の一社提供だったが、当該コーナーの放送時間帯もレギュラー放送同様に味の素が一社提供を務めた。
- ^ 同年7月3日の『笑っていいとも!』「タモリ・さんまの日本一の最低男」内で参加募集が呼び掛けられていた。
- ^ この年から2004年までの殆どの回では番組終了10秒前になるとスタッフ・出演者がカウントダウンをして番組を締めくくるのが恒例となっていた。
- ^ ただし、総合司会のタモリとさんまが「今回のテーマは『人間の欲』」だと幾度と番組内で発言していた。
- ^ 7月16日の19時30分過ぎからエンディングまで。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』自体が、プロ野球中継(巨人対ヤクルト<東京ドーム>。ちなみにこの前日に斎藤雅樹がプロ野球新記録となる11試合連続完投勝利を記録した)で休止となったため、被ることなく出演可能であった(1989年(平成元年)7月16日 『福島民報』(福島民報社) 朝刊 21面。テレビ番組表より)。なおネット局のうち日本テレビ系とのクロスネットであったテレビ長崎(当時)とテレビ宮崎はそのプロ野球中継をネットせず当番組のネットを優先した。
- ^ 記事内便宜上でのタイトル。コーナー内でのタイトルはなかった。
- ^ 番組内では、中継に出ているアナウンサーも含め全員が「アナウンサー歴○○年の○○です」と名乗り、名前テロップにもアナウンサー歴が併記されていた。
- ^ この日の両コーナー以降、タモリは、デビュー当時から変えてこなかったディップ(整髪料)で固めた真ん中分けの髪型に丸い銀縁のサングラス、そして『いいとも!』出演時の7:3分けの髪形に茶色系レンズのサングラスから、オールバックの髪型と黒色系のサングラス(『いいとも!』出演時は時期によって事故前とは別の茶色系のサングラス)にスタイルを変えるようになった。
- ^ 1992年度と1993年度の総合司会である逸見政孝が1993年12月に死去したことで企画自体が成立しなくなった。
- ^ 前々年(1993年)と前年(1994年)は自転車レースの最高峰、ツール・ド・フランスの実況を担当した関係上、声のみの出演だった為にテレビ出演するのはこの年が初めて
- ^ 現在は解体され河田町コンフォガーデンに建て替えられている
- ^ 当たった理由はスタジオ内にあったカウントダウンタイマーがその様になっていたため。
出典
- 1 FNSスーパースペシャルテレビ夢列島とは
- 2 FNSスーパースペシャルテレビ夢列島の概要
- 3 概要
- 4 番組タイトル・放送日・内容
- 5 スペシャルドラマ
- 6 関連項目
固有名詞の分類
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