第3回(1989年)FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島'89
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1989年7月15日20:00 - 翌日16日20:54 - 一昨年までの野球中継がなくなったことから、今回は20時からのスタート(25時間)となる。 総合司会はタモリと明石家さんま。 テーマは「クイズ」 FNS系列局で行われた予選を勝ち残った一般人の解答者(1局あたり2人)と系列局のアナウンサーがフジテレビのスタジオで25時間通しでクイズを行った。クイズはスタジオからのほか、当時放送されていた番組・映画やドラマの収録先、解答者の地元応援団、さらに小堺一機と関根勤による移動中継(後述)、その他各コーナーからも出された。小堺一機と関根勤は東京・新宿のスタジオアルタを出発地として『アルタ→タケシタ(竹下)通り』と次の中継先がしりとりになるように25時間東京近郊を回ってクイズを出した。 地方からの中継は系列局のアナウンサーが担当していたが、タレントが担当していた局もあった。 今回から深夜のお色気コーナー(「深夜のMr.レディーと大宴会」)が始まる。そのコーナー内で、出場したニューハーフが放送禁止用語を使用し、CM明けにタモリ・さんまが謝罪。コーナー終了後のインフォメーション冒頭で、八木亜希子アナウンサーが改めて謝罪した。 また、日曜朝(モーニングクイズ)の石川テレビからの中継で、寺院内の墓地内にいる女性リポーターが「お墓に霊がウヨウヨしている」と発言し檀家から抗議の電話があったことに対して、昼(アフタヌーンクイズ)の放送で出場した寺院の住職が釈明した。 番組開始から十数時間が過ぎ、タモリ・さんまが一番辛いであろう時間帯に、癒しの企画として二人を「笑っていいとも!増刊号スペシャル」から出演していたダウンタウンとウッチャンナンチャン、笑福亭鶴瓶と共に、ジャングル風に仕立てたスタジオに招待した。そこでは鍼、鍼灸、整体、気孔などを体験したが、気孔を体験中、タモリが気のゆるみからかおならをしてしまった。タモリは「気が出た」と弁明した。 優勝は、1550点獲得の新潟総合テレビ。準優勝は山形テレビ(現在はテレビ朝日系列)、最下位が関西テレビ。優勝した新潟総合テレビには世界一周旅行、準優勝した山形テレビには沖縄旅行、関西テレビには北海道旅行が贈呈された。また、タモリ賞にはテレビ新広島の矢野寛樹アナウンサーにテレビが、さんま賞には福島テレビのポチ(出場した住職夫妻の飼い犬)にビデオデッキが贈られた。 『スーパータイムデラックス』では舛添要一がゲスト出演し、スポーツのコーナーでは池谷幸雄・小菅麻里・小川直也がVTR出演した。 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは木幡美子・智田裕一・佐藤里佳・田代尚子・境鶴丸・野島卓の男女3人ずつの合計6人。
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