1983年の噴火とは? わかりやすく解説

1983年の噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:40 UTC 版)

三宅島」の記事における「1983年の噴火」の解説

1983年発生した噴火では、10月3日12:00(以下JST)頃から、阿古地区などの島の南部小さな地震感じられるようになり、13:58北部三宅島測候所火山性地震観測。そして、15:23頃に南西山腹生じた割れ目から噴火した噴火始まったのは七島展望台二男山の間にある斜面考えられている。噴火開始から20分後には、小火口の列が南北延びていった。 割れ目火口から列をなして高さ100m以上に吹き出た溶岩は、主に火口西方にある阿古方面南西にある錆ヶ浜方面、南南西の粟辺方面3つ分かれて流れ阿古方面流れた溶岩流は約1.7km/hで流下し、18:00頃には民家焼き阿古地区一部飲み込んだ。粟辺方面流れた溶岩流は、17:56に海に到達したことが確認されている。 一方16:17に新澪池の北西で大噴煙上がり16:38には最初マグマ水蒸気爆発発生17:10頃には島の南端新鼻付近爆発発生し17:22には隣の御蔵島から新澪池の西方火柱目撃されている。その後19:17に新澪池北西から西方にかけて激し爆発発生し21:40には新鼻およびその東側で最も激し水蒸気爆発発生。翌4日未明にかけて爆発噴火相次いだ。これらの一連の火山活動によって、周辺大量岩塊東方坪田方面火山礫火山灰降下した溶岩流出4日早朝にはほぼ止まった住宅埋没焼失は約400棟。山林耕地等に被害出たが、幸いにも人的な被害はなかった。 国土地理院測定によると、噴出物総量は、溶岩流5 - 7×106m3、火山灰等が6×106m3、計2,000tであった噴火前後に、計101回の有感地震発生しそのうち最大3日22:33発生したM6.2の地震で、三宅高校では震度5観測した

※この「1983年の噴火」の解説は、「三宅島」の解説の一部です。
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